教えてください旅行記
栃木ぶらぶら食べ飲みある記 庶民派嗜好B級グルメ(by Toshさん)
あちこち食べに行ったり飲みにに行ったりするのが好きなYOU!
安い(Y)、多い(O)、うまい(U)
そんなお店をお探しですか?
個人的な好みではありますが、私の行ったお店を紹介します
また、このブログを見た方で、YOUの条件に合う店がありましたら、ぜひとも教えてください
このブログが栃木のB級グルメの情報交換の場にでもなれば良いなあと思っています
あ、もし行ったという方がいらっしゃいましたら、ぜひ率直なご意見をお願いします。
【旅行時期】2008/11/16~2008/11/16
【エリア】
栃木県
【テーマ】
グルメ
【投稿者】
Tosh
愛すべきイタリア、その1(by Stefanoさん)
第1章 イタリアへ到着
私がマルコポーロ、ベネチア空港へ降り立ったのは秋も深まる11月中旬のある金曜日の夕暮れでした。
イタリアの仲間が手配してくれたハイヤーの出迎えを受け30分ほどでベネチア郊外の小さな町の工業団地にある工場に着きました。私はベネチアにある会社へ単身で赴任することになったのです。
当面の着替えや生活用品をぎっしり詰めこんだスーツケースをハイヤーから降ろし会社の事務所へ入りました。仲間の一人が出迎えてくれました。その顔は「とうとう来たか」という表情でした。私は以前から仕事で何度もイタリアへ来ていたのですが、今回は赴任ということで短期出張とは違っていました。じっくり根をおろして住みつこうというのです。
何度も来ていたイタリアには特に違和感はなかったのですが、出張の1~2週間の滞在ではなく、長期間滞在して生活するとなると、今までと同じはずはないと思っていました。
さて私の感覚、感動が新鮮なうちに、イタリアでの数々の体験談を書いてみたくなりました。
第2章 イタリアの友人
私の一番親しい友人でイタリアの会社の責任者を努めるその男は「Gal....」という名前でとてもダンディな50歳半ばのイタリア紳士です。ここでは親しみを込めて「ガリちゃん」と呼びます。いかつい迫力のある顔立ちをしていて、以前から続けている口ひげと真中で緩やかに分けた髪には最近は随分白いものが混じるようになってきています。彼とは15年来の付き合いでお互いの性格や考え方はよくわかっています。イタリア人の例にもれず、彼はとても明るいのですが、その部下が「あの人はドイツ人みたいだ」と評するように厳格で几帳面なところも持ち合わせています。本人は、自分は北イタリアの生まれなのでドイツやオーストリアの血が混じっていると言っています。日本人の持つ、明るいノー天気なイタリア人のイメージはナポリに代表される南イタリアのものかも知れません。実際、工業生産などの工場はトリノ市など北イタリアに集中しています。南イタリアの人は、そのルーツをスペインなど典型的なラテン人種としていると言われ、人生を楽しむのを優先するので日本的な時間厳守、約束厳守、計画厳守というような工業生産をするには適していないようです。
ガリちゃんが机の上に散らばった書類を整理しパソコンの電源を切り、出かける準備をします。私達は一緒に事務所の前の駐車場へ向かいました。そこにはイタリア製の白い小型車が停まっていました。イタリア唯一の自動車メーカー、フィアットのものです。フィアットはFIATと綴り、Fabbrica(工場)、 Italiano(イタリアの)、 Automobili(自動車)、 Torino(トリノ)の頭文字をとったもので、トリノ市のイタリア自動車メーカーという意味です。どうです、あたしは何でも知ってるっしょ?
さてその小型フィアットは私が当面乗るために借りてくれたレンタカーです。私のために新しく購入してくれた車が届くまでこれを使ってくれということでした。ガリちゃんが、「ホイ」と言って私に車のキーを手渡してくれました。これからお前のアパートへ行くから俺の車について来いや、と言うのです。私はイタリアへは何度も来ていましたが自分で車を運転したことはありません。その時は日が暮れて、すっかり暗くなりライトをつけないと運転できません。
「ゲッ、ちょっと待て、俺はイタリアで車を運転したことはないゾ」と言うまもなく彼は自分の車に乗りこみ既にエンジンをかけスタートオッケーの状態です。日本から見ると、イタリアでの運転は、まず左ハンドル、右側通行という大きな違いがあります。そのうえ全く道も分からない。その車はおまけにギアシフトはマニュアルです。私は日本でもマニュアルギアシフトの車に乗っていたのでその点は問題なし、しかし、そのほかは日本とは感覚が全く反対です。
「ガリちゃん、ちょっと待ってよ」と言おうと思ったときは彼の車は既にゲートを出ようとしていました。動転です。日本のギャグで「動転、どうてん、同点決勝」というのがあったのを思い出しました。しかし同点決勝なんぞしている場合ではありません。まずキーを差込んでクラッチを踏み込みアクセルペダルを軽く踏み、エンジンキーを回しました。出口ゲートの近くでガリちゃんが、「行くぞぉ」という顔でこちらを見ています。「ま、いっかっ!」という感じで私は車をスタートさせます。しかしエンジンがブーブーいうだけで動きません。ゆっくりクラッチを離すと車はやっとゆっくり動き始めました。ガリちゃんの車のすぐ後ろまで着けます。ガリちゃんは一気に車を発進させました。でもいつもはシューマッハのようにぶっ飛ばすガリちゃんもさすがに今日はゆっくり走ってくれます。
ヨーロッパの国では日本にはないロータリー式の交差点がたくさんあります。道路が十字に交差するところでも信号機がついていなくて、真ん中の丸い空間に沿ってぐるぐる回転するロータリーになっているのです。そのロータリーへ突っ込んでから時計回りと反対方向にぐるぐる回りながら自分の行きたい方向の道へ来たらそのロータリーから飛び出すのです。ロータリーの中を回っている車と、外から入って来る車が交差しますが、慣れないに日本人にはどちらが優先なのかよく分からないのでうろたえます。また同点決勝です。ついつい肩に力がはいりハンドルにしがみつき身体を乗り出し、額がフロントガラスに当たりそうになります。方向指示のウィンカーを出したつもりなのにワイパーが回り始めます。イタリアの車はウィンカーとワイパーのレバーが日本の車と反対に配置されています。夏でもないのに額にうっすらと汗をにじませながらそれでも無事、車は郊外のアパートまで着きました。
「どうだ、道は覚えられたか?」
とガリちゃん。
「全然わからん!」
と私。
「月曜日からは今日来た道の逆を来れば会社へ着くよ」
とガリちゃん。
「わからんと言っとるだろうが!」
と私。
「月曜日の朝は俺がここへ来てやるから、また会社まで追いてくればいいよ」
とガリちゃん。
濃い茶色のペンキを塗った鉄製のアパートの門を入ったあとガリちゃんはその建物の裏手へ廻りました。車から降ろした大きなスーツケースを門のところに置いたまま私はその後に続きました。裏手にある部屋のドアをガリちゃんがノックするとイタリア人のおばさんが顔を出しました。イタリアだからイタリア人おばさんがいてもおかしくないか、などと思いながら私はことの成り行きを見守っていました。そのイタリア人おばさんはアパートの管理人をしているジョバンナさんでした。金髪にグレーが混じった短い髪で、顔も身体もコロコロしていて可愛くて、とても人のよさそうな見るからに典型的なイタリア人おばさんです。歳は60ちょっと過ぎと言う感じ。実は前回私がイタリアへ来たとき私が住むことになるこのアパートの管理人のジョバンナおばさんには一度会っていました。『ボナセーラ』とイタリア式の‘今晩は’の言葉を交わしお互いのホッペを左側から交互にくっつけ、チュッチュッとキスをしながらの挨拶です。私がボナセーラ(今晩は)と、イタリア語を喋ったので、ジョバンナおばさんは私がイタリア語を話せるようになったと思ったのか、べらべらと訳のわからないイタリア語でまくしたてます。ノンカピート(わかりません)と言うと、怪訝そうな顔をしてやっとジョバンナおばさんの機関銃は止まりました。
ガリちゃんが、「彼が今晩イタリアに着いて、これからここに住むから宜しく」というようなことを言っています。ガリちゃんが本当にそう言ったかどうか全くわかりませんが、状況からみて、そう言っているに違いありません。私は感が鋭いのです。私の感の鋭さはその昔、学生の頃、友人の近藤クンや有田クンから刑事になったらどうかと言われたほどでした。信じますぅ? それはさておいて、ジョバンナおばさんから鍵がいっぱい付いた束を手渡されました。敷地へ入る門の鍵、建物へ入るものとか郵便ポストの鍵、ガレージのもの、部屋の鍵など数えたらその束には6個もの鍵がついていました。ジョバンナおばさんに、キーがいっぱいあるね、と英語で言ったのですが通じません。ノンカピートとジョバンナおばさん。ま、いっか。
こうして私のイタリア滞在第一日目がスタートしたのでありました。
第3章 パドバ市と私の住まい
ガリちゃんが言います。明日の土曜日は町の広場で開かれる朝市へ連れていってやろう、そしてスーパーマーケットへ行く道順も教えてやるよ。
私のアパートはベネチアの島の西約40kmに位置するパドバ市の郊外にあります。会社のあるベネチアはあの水の都ベネチアに違いはありませんが、ゴンドラの行き来するベネチア島ではなく陸地側の工業団地の中にあります。そしてアパートのあるパドバ市は人口30万人ほどの中都市ですが日本の観光ツアーのコースには入っていないので日本ではなじみの薄い町です。しかしパドバ市は知る人ぞ知る歴史ある由緒正しい町なのです。ここにはパドバ大学という学生数7万人を擁する総合大学があるのです。歴史も古く、世界的にみてもボローニァ大学に次ぐニ番目の古さであのガリレオ.ガリレイが教鞭をとった大学として、そして地動説を唱えたコペルニクスが学んだ大学としても有名です。
私のアパートは一人暮しには広く、リビング、ダイニングキッチン、バストイレ、廊下、小さな2つの物置のほかにベッドルームが3部屋もあります。3階建ての3階のワンフロアーで広さ約30坪です。リビング、ダイニングキッチンの西側に面した広いベランダからの見晴らしも悪くない、ベランダの向こうにどこかの会社の建築資材置き場が目に付くのを除けば。しかし部屋には、ワードローブとかカーテンなどはなくこれから順々に取付けされるとのことでした。それでも当面の生活には困らないようです。とても大きなダブルのベッドもとても寝心地がよさそう。
第4章 朝市とスーパーでの お買い物
翌朝11時少し過ぎ、ガリちゃんが車でアパートへ来てくれました。朝市は毎週土曜日の午前中だけ開かれるとのことで、パドバ市の中心にあるパラッツオ.ラジオーネという旧市庁舎の古い建物の両側の広場に野菜、果物、穀類を主体としながらも、そのほか衣類、皮製品などの100軒余の屋台が出ます。広場の中心にある古い建物には常設の市場の商店が並び、肉屋さん、魚屋さん、チーズ屋さんなど食べるものは何でも揃っています。
私の目的は、「日本米」を買うことでした。テントを張った6メートル四方のその屋台へ行くとタイ米、インド米を初め各種のお米が並んでいました。その中に一つだけ日本米がありました。なんとその袋には緑色の裃(かみしも)を着た侍の絵が描かれているではありませんか。2キロ入りのポリ袋には「高級日本米」と書かれ、ブランド名が「日の出」と漢字で書かれています。なな、なんと日本製だべか? こんなイタリアの片田舎で日本製の米が手に入るのか? しかしその裏側にはアルファベットで「Shinode」と書いてあるのです。 「シノデ???」。「日の出」は“ひので”と読むのであって“しので”ではありまヘン。でもそんな細かいことにこだわっていてはとてもイタリアでは暮らしていけまへん、、とキツク自分に言い聞かせます。
どこで採れたものかはよく分からないけれども、形からして「ジャポニカ米」らしく日本で買う米と同じように見えます。袋に印刷した文字を読むと「寿司用」とも書かれています。寿司用の米なら上等品だぞ、、でもそれはちょっと違うゾなどと、心の中の葛藤を押さえつけとりあえず、計り売りで3キロ入を購入。1キロあたり2ユーロ(約300円)なので。まあまあの価格です。でもこれで日本米の入手方法がわかり一安心。米と醤油、そして味噌が手に入ればなんとかイタリアでも生きていけそうです。醤油はキッコーマンのオランダ工場製のものがスーパーで売られていることは以前から知っていたので安心です。ただし日本のように、減塩とか、うす塩とか、いろいろな種類はありません。容器も一種類しかなく、卓上に置く150ミリリットル入りのものでキャップ部分に2つの注ぎ口の穴がついているやつです。しかし、ああだこうだと、贅沢を言っている場合ではない。
一方、味噌はイタリアではまだ発見できていません。従って日本からの持参品で当分しのぎます。
朝市のあと、ガリちゃんは私のアパート近くのスーパーマーケットへ連れて行ってくれました。Iper LANDOという緑色の大きな文字が建物の側面に書かれています。大型スーパー.ランドという意味のようです。平屋建てでとても広く倉庫のような建物です。
広い駐車場の真ん中にカートが長い列を作って並べられています。カートの取っ手のところに1ユーロ(約150円)のコインを入れてカートの列から引き離します。カートを元の場所へ返すときはコインが返って来る仕組みになっています。こうでもしないと殆どのイタリア人は決して元の場所へカートを戻さず、駐車場のあちこちへ放置するのでしょう。
カートを押してスーパーの建物へ向かいます。入り口にはアフリカからと思われる黒い顔をした人が地面に布を敷いて、偽者ブランドのバッグなどの露店を広げています。
スーパーの通路をカートを押しながら、当面の生活用品、台所洗剤、食器洗いスポンジ、シャンプー、まな板、醤油、ケチャップ、マヨネーズ、コショウ、塩、オリーブオイルなど思いつくものを片っ端からカートに放りこむ。ケチャップなどもいろいろな種類があるけど同行のガリちゃんはスーパーで買物などしたことはないらしく、どれがいいのか殆どわからないのでお奨めブランドがわかりません。それでも1時間ほどして買い物終了。
ガリちゃんの車のトランクに買ったものを詰めこみ、アパートまで送ってもらいました。
第5章 イタリアワインと日本車
ガリちゃんの車も日本車です。日本車は買うときはイタリア車などより価格が少し高めだけど、数年間のメンテや修理費用を考えると断然日本車が経済的だとか。それに日本車は故障自体が少なくとても気分がいい。ガリちゃん曰く、日本はこれほどいい車を造っていながら宣伝が下手でヨーロッパではたくさん売れていない。一度日本車を持ったイタリア人などはこれ以上いい車はないときっと言うだろうというのが、ガリちゃんの意見です。
この宣伝に関連して、ガリちゃんは言います。イタリアのワインについても同じだと言います。ワインといえばフランスワインが世界的に有名です。ワインの生産量でも品質でもイタリアは決してフランスに負けていない。しかしフランスは宣伝やプロモーションがうまく、世界的にはイタリアワインよりはるかに高品質でうまいと思われている。ワインに関してイタリアがフランスに一歩遅れをとったのは宣伝のせいだというのです。あるフランスのワインメーカーなどはイタリアからワインを仕入れてフランスのラベルを貼って売っていた時期があるとガリちゃんは言います。ほんまかいな。でもありうる。ウンウン。
第6章 日本米
さてスーパーから帰って早速、買ったばかりの日本米シノデを炊きました。炊飯器は日本から持参したタイガージャー炊飯器ですが、ヨーロッパ仕様で220ボルト電圧対応、プラグは丸ピンで問題なし。炊飯器の説明書を読みながらでも、とりあえずのテスト炊きの3合はうまく炊けました。
初めてのトライ。味見をします。「う~ん、なんとかいける、悪くな~い」。
これでイタリアでの食生活の基盤は確保できたぞぃ、と一安心。
しかし、これには後日談が、、。
実は、私がイタリアへ引越しするとき別の航空便で衣類などを日本から発送していました。その中に、5キロ袋入りのコシヒカリの新米を入れておいたのです。この荷物はイタリアの輸入通関で手間取りましたが日本発送後2週間で手元に届いたのです。カートンで5つ。そのカートンが運送会社から会社の事務所に配達されました。それをアパートへ持ち帰った夜、3時間ほどかけて開梱し衣服などを所定の場所へ収めました。その中の、コシヒカリ、ああコシヒカリィ。それまでイタリアのShinode米に満足していましたが、それでも早速コシヒカリを2合炊きました。45分ほどして炊き上がったコシヒカリに感動。つやつや光ってるぅ。これまた日本から持参した茶碗へよそいます。そしてまた日本から持参した竹の箸でひとかたまりを口の中へ。言いようのない甘みが口いっぱいに広がります。じぃ~ん。感激で思わず涙が出そうになります。これなら、オカズも何にもなくても大丈夫だぞ。やっぱしご飯は日本のものだべさ。
第7章 外国の食事と醤油
私は仕事の関係で、これまでアジア、中近東、南米、北米、ヨーロッパをまわり、それぞれの地でそれぞれの食事をしてきました。若い頃はそれでも、せっかくのチャンスなのでその土地々々の食べ物を積極的に食べてきました。香港へ行けば脂っこい広東料理、ブラジルへ行けば塩っ辛い焼肉(シュアスカリ)、イランへ行けば羊の焼肉やバターであえる長細いご飯、イギリスへ行けば味付けの薄いポテト料理、、、、しかし、しかし年齢を重ねるとともに醤油味がないと満足感が得られなくなってきてしまいました。なんで、なんで世界の人達はあんなおいしい醤油を使わないのだろう? 何年か前、キッコーマンのウィスコンシン工場へお邪魔をする機会がありました。ウィスコンシン州はアメリカの五大湖のうちのミシガン湖の西にあり、水がとてもきれいで豊富なので醸造に適しているということです。そもそもウィスコンシンという名前は先住民インディアンの言葉で『水が豊富』という意味に由来しているとのこと。当時のキッコーマンの工場の責任者の徳田さんによるとアメリカでも東洋人以外には醤油は殆ど受け入れられず、甘味を加えた照り焼き醤油を発売したら急にアメリカでも売れ出したと言っておられたのを思い出します。ベーシックな醤油はアメリカ人には受け入れられないのか。う~ん、やはり人の味覚というものは簡単に変えられないものなのだ。
第8章 車の到着
イタリア到着の次の週に、私の車が納入されました。日本車です。私はなにも日本製にこだわっていたわけではありません。ドイツのフォルクスワーゲンの中級車「パサート」を候補にあげて、この車のオートギアチェンジ付きを望んでいました。でもヨーロッパではマニュアルのギアチェンジが一般的でオートギアチェンジのものは特殊とみなされ全体の5%以下とのことです。そのためパサートのオートギアチェンジの車は納入まで3ヶ月も待たなければならないとのことでした。慣れない道、右側通行、左ハンドルということがあり私はオートのギアチェンジの車でないとやっぱしまずいでないかぃと思っていました。タイミングよくその頃ちょうど、近くのディーラーへオートギアチェンジの日本車が1台日本から到着するとのことだったのでそれに飛びついたのでした。イタリアではミラノやローマなどの大都市は地下鉄、バスなどの公共交通機関が発達しているのですが、私の住むパドバ市郊外では車なしに生活は出来ないのです。バスはあるのですが、路線が自分の都合のいいようなところを走ってくれません。私のアパートから一番近くのスーパーへ行くのにも車で10分くらいかかります。
第9章 イタリアのアパート
さて車の運転にも少しずつ慣れ、通勤の道も覚えた頃、会社の秘書のオネエサンが言うのです。「あなたのアパートのキッチンとか家具とかカーテンとかは私やみんなで揃えてあげたのよ。そろそろお礼のお食事会を開いてもいいんじゃないのぉ?」
この秘書はオルネラという名前で私とは10年来の付き合いです。イタリア語はもちろん英語、フランス語を話します。英語しかできない私には強い味方です。しかし少し、いやかなり抜けているところがあり、ときたま腹が立つこともありますが、この30代半ばのオルネラ女史は歯がきれいで笑顔がとてもかわいく、憎めません。
アパートですが、ヨーロッパの賃貸アパートは大きく分けて二通りあります。一つは家具、ベッド、キッチンなどの備品が揃っているもの。そしてもう一つは、入居するとき家具などの備品が何も備わっていないもの。前者は備品を自分で揃える費用、手間はかからないが家賃が割高で1年前後あるいはそれ未満の短期間滞在用。後者は、家賃自体は安く2年以上の長期滞在用です。後者の場合の多くは、箪笥やベッドなどはおろかキッチンの流し台や照明器具もなにもなく、天井からは銅線が剥き出しの電線がぶら下がっているだけで、簡単に言えば、床と壁と天井があるだけです。壁や天井などは家主が責任を持って、新しい入居者のためにペンキなどで塗りなおしてくれます。そのほかは何にもない。前の住人が全部持って出ていくのです。でも洗面台とトイレの便器は残していくみたい。ですからソファー、椅子、ベッド、洋服ダンスはもちろんのこと、キッチンの流し台、調理台、洗面所の鏡、照明器具など何もかも新たに入居する人が自分で揃えなくてはならないのです。私のアパートは後者でした、つまり家具などは何も無い。イタリアの勝手がわからない私のために、基本的な生活備品は会社のスタッフが全部揃えてくれたのです。それが全部揃うには私が住み始めてからも数ヶ月かかりましたが、、、。
第10章 日本食ぱーちぃ
その秘書のオネエサンがお礼のお食事会を開いたら?というのは冗談だと思って笑い飛ばしていました。しかし私が反応しないとわかると、そのあと、ことあるごとに何度も同じことを言ってお食事会を催促するのです。3回目の催促を受けたとき私は、これは冗談ではなくて本気なのではないかと思うようになりました。それで3回目の催促を受けたあと、私が「そうだな、日本食パーティでも開くか」と言いました。そしたらそれを聞いた秘書のオネエサンが「ホント?」と目を輝かせるのです。「おうよ」と私が答えると、興味津々の顔をするのです。そこへ通りかかったお喋りのオニイサンが、また話に参加してくるのです。
そこで私が、「日本食はどんなものが食べたい?」と聞くと「スッシ!」と答えるのです。日本食は寿司しかないとイタリアの田舎の人達は思っているようです。でも我々も他人のことは言えません。多くの日本人はイタリアにはスパゲッティとピザしかないと思っているのですから。ヨーロッパでは生の魚を食べる習慣がないので殆どの人は刺身や寿司などの生魚は食べられません。食べられないことを知っていながら、日本食といえば寿司しか知らないので「スッシ」と言うのでしょう。日本へ行ったことのある人なら、天ぷらとかシャブシャブなどを知っているかも知れませんが。
私は意を決しました。日本食ぱあちぃを開くのです。
そんなある日、仕事でちょっとした問題が発生しました。私は急遽、日本へ帰ることになりました。うっとうしい揉め事を解決するための一時帰国でしたが、これは私が日本で日本食材を仕入れる又とないチャンスでした。
日本へ帰って、女房に言いました。近々、イタリアのうちで日本食ぱーちぃを開くんだけど、メニューはどんなのがいいと思う? うちの女房も欧米人が生の魚を食べられないのを知っていて、やっぱし天ぷらあたりがいいんじゃないの? と言います。決まりました、メニューが。やっぱし天ぷらです。すぐ女房と一緒に近くのスーパーへ出かけました。
天ぷら粉、サツマイモ、そしてレンコンなどを仕入れました。天ぷら油はイタリアのひまわり油でいい。他の野菜はイタリアへ帰ってからスーパーへ行けば何か見つかるだろう。
4月のある日、私は日本食ぱーちぃ開催を決心しました。ガリちゃんに誰を招待したらいいだろうかと聞いてみました。ガリちゃんは言います、お前が招待するのだからお前が決めればいいんだよ。それもそのとおり。金曜日の夜8時に決めた私は、例の秘書オルネラ女史はじめガリちゃんを含めた営業担当、資材担当など4人のイタリア人に都合を聞きました。みんな二つ返事でオッケー。ただし言いだしっぺみたいなオルネラ女史だけが都合が悪いといいます。言いだしっぺなんだから厭なはずがない。何で都合が悪いの?と突っ込んで私が聞きます。実はナポリに住んでいる女友達がその日来るの、と言います。それじゃあ、その友達も日本食ぱーちぃに一緒にどう?と私。じゃあ聞いてみるわ、とオルネラ女史。その友達に電話のあと、返事はオッケー。女友達はパオラというそうです。どんな子なのかちょっと楽しみ。
結局、招待者はガリちゃん初め会社の男の人3人と秘書オルネラ女史とその友人のパオラ嬢の合計5人。
いよいよ、ぱーちぃ当日。仕事も早々に片付け夕方6時に会社を出ます。
うちに着くや否や、エプロン姿に着替え、早速仕込みにかかります。2時間あれば余裕と思っていたのですが、ぱーちぃスタートの8時までいっぱいかかりました。8時少し過ぎた頃からぼちぼち招待客が集まり始めます。8時から深夜12時まで、大いに盛りあがりました。当初7時半からの予定でしたが、前の週の日曜日から夏時間に移行していて、7時半ではまだ外は明るく晩餐のイメージがわかないので8時に変更しました。
メニューは;
和風ドレッシングをかけた野菜サラダ、日本から送った新米コシヒカリの白いご飯、赤出し味噌汁、かぼちゃ、さつまいも、レンコンの天ぷら、鶏の唐揚げ、日本酒、ワイン、ビール、日本茶、ティラミス、でした。ティラミスは招待客オルネラ女史の持参です。
みんなきれいにたいらげてくれ、ご飯や赤だし味噌汁をおかわりをした人も何人かいました。日本食は初めてというパオラ嬢は箸の持ち方で格闘し話題はいっぱいでした。醤油味の和風ドレッシングがとてもおいしいと言う人もいました。一般的にイタリアのレストランでは野菜サラダなどの味付けはテーブルに備え付けのオリーブオイル、酢、食塩、コショウなどで自分で好みの味付けをします。ドレッシングという出来合いのものはテーブルに置かれていません。
テーブルに乗った料理の中では私の自信作の鶏の唐揚げがやはり一番人気でした。最初の分では足りなくなり、追加で仕込んで最初と同じくらいの量をまた作りました。それでもすぐになくなってしまい、最後の一切れが大皿に残りました。皆が遠慮して手を出さないのです。見るに見かねた私が、その最後の一切れを包丁で半分に切り、二人のレディー、オルネラ嬢とパオラ嬢の小皿へ分けました。この2人は待ってましたとばかりすぐ口の中へ放り込みました。それを見た皆は意味もなくニンマリ。この鶏の唐揚げについては、オルネラ女史には作り方を教えて欲しいと言われました。しかしそれを聞いたガリちゃんが、私に言います。『それは秘密にしておくのだ。教えるな』と遮ります。そうです、教えられないのです。実は私とガリちゃんは密かに将来、共同出資で日本食レストランを開くことを考えているのです。私はカツ丼とか、焼き魚を安く食べられるような大衆食堂的なレストランを描いているのですが、ガリちゃんは会席料理のような高級料亭風にして値段も高くとろうというのです。私は若かりしころ学生時代に大衆食堂兼飲み屋みたいなところで数年間アルバイトをして庶民的な料理を作っていた経験があり、イタリアの人たちに安くてうまい日本料理を食べさせてあげたいという夢があるのです。
評判のよかった鶏の唐揚げについては、味付けに醤油が入っていることはイタリア人にはわからないと思います。それでもオルネラ女史は、これはきっとガーリックがはいっているよね、と言います。当ったりーです。日本から持参した片栗粉もイタリア人にはわからないだろうと思います。日本の皆さんは西洋料理と日本料理の基本的な違いをご存知でしょうか。味とか素材の問題ではありません。既にお気づきの方もあると思いますが、それは料理の出し方にあるのです。通常の日本料理は、テーブル狭しとばかり、その日の料理の殆どを同時に乗せます。そして、その沢山の料理にかわるがわる箸をつけます。しかし西洋料理は、テーブルに乗せられるのは一品一品で、まず複数の料理が同時にテーブルに乗ることはありません。そして、一つの皿を平らげる、或いはその皿のものを食べるのを放棄したのがわかると、初めて次の料理が運ばれてくるのです。私が大発見したようなことを言っていますが、皆さんとっくにご存知でしたかぁ?
さて招待された中の一人のオッサンが自分も料理が得意だというので、いつかその家でイタ飯ぱーちぃを開こうという話しになりました。イタリアだからイタ飯は当たり前です。
そしてイタリアにはイタ飯屋がいっぱいあります。私の知っているだけでも6軒はあります。(6軒ばかりのはずはネェだろうが! ハイ、そのとおりでゲス、ふざけてスンマヘン)さてこのオッサンの招待をあてにしないで待つことにします。このような招待の場合、イタリアでは、来週あたりなどと言われたら大抵は数ヶ月先、『いつかそのうち』などといわれたら数ヶ月後か数年後か、まず実現しません。このような会話の場合は往々にして、『明日』というのはラテンの国では今日の次の日ではなく、『近い将来』という意味に解釈しなければなりません。逆に自分が、うっかり安請け合いをして約束などを守れなくなってしまっても気にする必要はありません。殆ど責められません。言ったことや約束をキチンと守ると「なんと堅い人なんだろう、変人か」と警戒されるかも知れません、ラテンの国では。しかし、いかにラテンの国と言えどもキチンと約束を守る人のほうが信頼されることは間違いありません、多分、、、
さて日本食ぱーちぃでは、実はチラシ寿司もやろうと思いましたが新米コシヒカリの本当の味が隠れてしまうように思われたのでやめました。
日本から持参した4合瓶入りの日本酒2本はあっという間に空になり、お次は赤ワイン、それがなくなったらビール。みんな飲むわ飲むわ、そして大声で喋るわ、笑うわ、、近所中に聞こえそうな騒ぎです。いつもは私一人なので、静かなあそこのお家に何が起こったのかと思われそうです。にぎやかな会話の一例です。 「この娘は料理が得意だと言っているが、それは全くのウソで実は料理は全然できなく、毎晩ディスコへ行って男を漁っているとか、この男はいつかレストランで食事中にそばを通り過ぎたきれいな女の子に見とれて同席の女房に怒られたとか」会話はイタリア語と英語のちゃんぽんです。日本人は私一人だけなので日本語の出る幕はありません。翌日が休みという金曜日の夜ということもあり、皆、ハメを外して深夜12時まで大騒ぎをしました。とっても楽しい夜でした。
第11章 イタリア語の お勉強
私のイタリア滞在から数ヶ月が過ぎました。イタリア滞在というせっかくのチャンスを生かし、私はイタリア語をマスターしようと企てていました。日本からNHKの「イタリア語スタンダード40」というCDを持ってきていました。休日にはそのCDを聞きながら勉学に励みました。しかし若いときと違って覚えたつもりが、次から次へと頭から消えていくのです。若い頃は記憶力のよさを誇った私の頭脳は今となってはちぃっとも役に立たなくなっていたのです。挨拶程度の言葉は覚えられてもそこから先へ進めません。でも数字は何とか1から100まで言えるようになりました。数字を覚えると買い物が楽になりました。あるとき駅の売店で買い物をしました。売店のおばさんは半端な代金を言いました。確か12.45ユーロとか。12.45は「ドゥディッチ、クアランタチンクエ」と発音します。相手の言うことがわからず大きなお金を出すと、ついつい小銭のおつりがいっぱい溜まってしまいます。この駅の売店では12.45ユーロを小銭を含めてきっちり出しました。お店のおばさんが、ペルフェット(完璧)と言ってにっこり笑ってくれました。数字がわかるようになってからは買い物をする時、きっちり小銭まで自分から出すようになり、小銭で財布がいっぱいにならなくなりました。スーパーなど大抵の買い物では、キャッシュカードで支払うので小銭を扱うことはありませんが、それでもみやげ物とかバール(喫茶店)などの少額の支払いは現金で支払うことが多いのです。
さて自堕落な私はイタリア語学習はちっとも進みません。それで近所にあるイタリア語学校を探しました。地域の公共施設で無料で、私のような外国人にイタリア語を教えてくれる講座がありました。週に2回、夕方の7時からというカリキュラムがありました。しかし私の仕事では、その講座へ夕方7時までに行くのはとても難しいのです。これは諦めました。それで会社の仕事が終わった頃、会社の事務所まで来てくれる個人教授を探すことにしました。できれば、一生懸命になれるきれいなおねぇさんが、ええなぁと思いながら。しかし、残念ながらナイアガラ、今のところまだ見つかりません。
第12章 ベネチア ムラーノ島、ベネチアングラス
私の住むパドバ市郊外から水の都として有名なあのベネチアの島までは、最寄りのパドバ駅から電車で30分くらい、車でも高速道路でぶっ飛ばすと30分ちょっとで行けます。イタリアで高速道路で飛ばすと言うと、時速150kmくらいのことを言います。ついでながらドイツの高速道路アウトバーンでは時速180kmで飛ばしていても追い抜いていく車がいっぱいいます。
ベネチアの島々への入り口とも言うべきローマ広場の乗り場から水上バスで30分ほど北へ行くとムラーノ島と呼ばれる島があります。13世紀の終わりごろ、当時ベネチアのあちこちの島に点在したガラス工場をまとめてこのムラーノ島へ移転させベネチアングラスの生産を集約させるようになったとのことです。ベネチアには大小あわせて合計120くらいの島があるとのこと。ガラス生産には火を使うので火災発生の危険から避けるため一箇所に集めるという大義名分があったとのことですが、本当は、その技術の流出を防ぐ目的があって一つの島にガラス職人を閉じ込めたとも言われています。当時のベネチアはガラス製品が外貨を稼ぐ貴重な輸出品だったのです。ムラーノ島には今でも160余のガラス工場があります。ベネチアングラスと呼ばれるガラス製品は全部このムラーノ島で作られたものです。
たまたま日本からの来客があったので、一日時間をとってベネチアへ行きました。
来客は3人で、みな日本人です。そしてガラス工場を見たいという要望がありムラーノ島へ行くことにしました。ローマ広場から30分ほどの船旅でムラーノ島へ着いた頃はお昼どきだったので、レストランでランチをとろうということになりました。水路沿いに屋外の席のあるレストランへ行きました。イタリア語では「リストランテ」と言います。イタ飯屋です。(当たり前だ、わかってるってぇのに!) 白いジャケットを着た年配のウエーターが2人忙しそうにテーブルの間を行ったり来たりしています。そのウエーターに、「クアトロ(4人)」というと、テーブルを準備するから2分待て、という返事。普通は1分待ってと言うのに2分待てとは、面白いねなどと言いながら待つことにしました。しかし10分待ってもそのウエーターは忙しそうに動き回っているだけで我々には目もくれません。私達のあとに、男女のカップルが客として来ましたが、そのウエーターおじさんはやはり「2分待て」と言っています。我々が座るらしいテーブルはとっくに準備できているように見えますがいつまでたっても案内はしてくれません。同行の日本人は待ちきれず、他の店へ行こうと私をせかします。でもどこの店へ行っても同じようなものだから、もうちょっと待ちましょうよ、と私。10分や30分待たされたからって、イライラするようではイタリアでは生きていけまヘン。そんなせっかちな奴らはイタリアなんかへ来るな! 日本でセカセカやってろ! と言いたいのですが、大事なお客さんなのでそんなこと言えまへん。口が裂けても言えまへん、、待てよ、口が裂けたら言うだろうな、あたしゃぁ、きっと。
結局15分くらい待ったあとやっとテーブルへ案内されました。そのテーブルは4人掛けのもので、とっくに準備できたと思っていたテーブルは6人掛けで私達4人用ではなかったのです。みんなで食べたスパゲッティはボンゴレもボロネーゼも、まあまあの味でスパゲッティそのものもコシがあって、正にアルデンテ、イタリアらしい出来ばえでした。さすがイタ飯屋!(くどいゾ)
さて同行の日本人来訪者のご要望であるベネチアングラスのガラス工場を探さなければなりません。私もそれまではガラス工場はテレビでしか見たことがありません。どこへ行けばガラス工場が見られるのか、そのレストランのウエーターに聞こうと思ってもとてもとても忙しそうで「お前達の相手などしていられない」という無言のポーズが伝わってきます。
結局、店の奥へ入りカウンターにいるおばさんに聞きました。
「英語わかりますか?」と私。ちょっと待って、とおばさん。でもそばに立っていたお客らしいイタリア人おじさんが、「俺はちょっと英語が分かるけど、何だい?」と言います。
結局そのイタリア人おじさんからガラス工場を見せてくれそうな店を聞き4人でそのレストランを出ました。
さて、教えてもらったベネチアングラス屋さんはすぐ見つかり、お店に入って工場を見せて欲しいと言ったら、ビシッとスーツで決めた若いダンディなオニイチャンがにこやかに微笑みながら「どこのツアーどすか?」とか聞くのです。「いいや、うちらはツアーではありまへん」と言ったら「予約でいっぱいでダメどす」と言うのです。イタリア語には京都弁はないと思いますが、とにかくそういう雰囲気の喋り方なんですぅ。
なんとかしてくれ、とねばっていたらオーナーらしいオッサン(あたしもオッサン)が出て来て、どうかしたんか?と聞くのです。
「あたしの女の友達が、この店へ行ったら工場を見せてくれる よ、と言っていたので来たんだべや」
と私が言ったら、そのオーナーらしいオッサンは(あたしもオッサン、、、くどいっ)、
「お~ぅ、そうか、それじゃぁ息子に案内させるわ」と言ってちょうど顔を出した息子らしい若いニイチャンに何やら指示をしました。その息子らしいニイチャンはスーツではなくラフなポロシャツをお召しになっております。でもなかなかのハンサム。
ところで、あたしは友達の女の子の紹介なんてぇのは口から出まかせで言ったのです。
あとで考えてみると、そのオーナーらしいオッサンはきっとあちこちで女の子にいいカッコをして、
「うちへ来たらいつでも工場を見せたるわ。友達でもなんでも連れてこいや」
なんてぇことを得意がって言っていたのではないかと思えてきました。そしてあたしが、女の子の紹介だ、と言ったのできっと
「そういえば何人かの女の子にいつでも来いやって言ったことが あったなぁ。どの子だったっけ? でも次にその子に会った 時、話しが違うでねぇの!」と言われたらマズイので、わたしの申し出をオッケーしたのではないかと思えてきたのです。
でもとても愛想のいいオッサン(あたしもオッサン、、、ホントくどいぞ)でした。
しかしおかげで、ガラス工場を見ることが出来ました。
ガラス工場では、5人の職人が溶鉱炉の小型版のようなガスの炎が燃え盛る炉の前で、長い鉄パイプの先の溶けたガラスの塊に反対側から口で空気を送りながら作品の形を作っていました。溶けたガラスは飴のようです。ハサミで切ったりしながら、まるで飴細工のように形を作っていきます。そのときはなにやら置物を作っているようでした。
工場見学のあと、ガイドのオニイサンが展示場も見ますか?と聞きます。
おぅよ、と答えると、曲がりくねった通路を経て広い展示室へ着きました。展示室にはベネチアングラスの粋を集めた様々な見本が、ところ狭しと並べられています。高級品は最低六客セットで、豪華なのは、ワイングラス、水のグラス、プレートなどがすべて同じ模様でフルセットになっています。結局それらはすべて見本で、客はその見本を見て注文するとのこと。注文すると世界中どこでも2~3週間で航空便で届けてくれるとのこと。しかし我々はとってもそのような高級品を買うような気もなく、ましてやお金もなくガイドのオニイサンの誘いも軽く流します。
結局、店の出口にある端数を展示してある棚から私は花瓶を選び購入しました。正札には25ユーロ(約3800円)。ステンドグラスのような色取りで一輪挿し花瓶です。ガラスに少し曇りがあったので、店のおじさんに、この汚れを拭き取ってよと言ったところ、これは作るときにできたガラスの汚れだから拭き取れないとの返事。その代わり5ユーロおまけしてあげるとのこと。私は値切るつもりなどなかったけど、なんだか得したような気になって買ってしまいました。同行の人たちは、イルカの置物とか、ペアのワイングラスなどを買いました。
あとで日本のガイドブックを見ていたら、我々が訪れたガラス工場は「CAM」という名前でムラーノ島でも有数と紹介されていました。ふぅ~ん、そんなに有名な工場だったのか。予約でいっぱいだということも無理はないか。知らないということは強いもんだ、などと思ったのでありました。
第13章 やさしいジョバンナおばさん
その日はまた日本からの来客を迎えに行くため、会社へは出ず自分のアパートから滞在先のホテルまで直接行くことになっていました。そのため、いつもは会社へ行くのに7時半頃にアパートを出るのですがその日は10時にアパートを出る予定でした。9時半ごろ鏡に向かってヒゲを剃っていると玄関のブザーが鳴りました。ドアを開けてみると管理人のジョバンナおばさんでした。
いつもの出勤時間を過ぎても私の車が表に止まっていたのでジョバンナおばさんが心配して部屋を覗きにきてくれたのでした。例によってあまり言葉は通じなかったけれども、ジョバンナおばさんは、胸のあたりに手をやって動かしながら心配そうな顔をして、「大丈夫か、風邪でもひいたのか?」というそぶりでした。その意味がやっとわかったので私は「大丈夫、これからお客さんを迎えにいくのだから」とイタリア語で言いました。この説明が通じたかどうか分からないけど、身体は大丈夫だということは通じたようで、「それなら大丈夫だね」という顔でジョバンナおばさんは帰っていきました。
ジョバンナおばさんの親切が感じられてとても嬉しかった。言葉は通じないけど、いつも気にかけていてくれるという事がわかりました。最近の日本の都市なら、おせっかいと言われそうなイタリアの田舎の人の親切さが分かり、一人暮しの私はドアを閉めたあと思わず、じい~んとなってしまいました。
ところがその翌日私は本当に風邪をひいてしまったのです。ドイツへの出張とか来客の対応とかが2週間続き、寝不足気味で疲れていたのかも知れません。タイミング悪く来客の一人が風邪をひいていて、その風邪をもらったらしく鼻水がでて喉が痛くなってしまいました。体温計がないので熱は測れないけど少し顔がカッカして熱っぽいのです。日本から持ってきた風邪薬を飲み、イソジンで一生懸命うがいをしました。手遅れか。うがいは普通、風邪をひく前にするもんだもんな。
ジョバンナおばさんに、今度はホントに風邪をひいたよと言わなければならないかも。でもホントに言うつもりはありません。もし言ったら、薬を持って来たり医者を呼ばなくてはいいのか、ということになりそうなのです。
第14章 イタリアの運転免許証とマフィア
冒頭でイタリアでの運転のことを書きましたが、イタリアで車を運転するにはもちろん運転免許証が要ります。世界約90ヶ国の間で相互に国際条約に基づいた合意がありそれぞれの国で発行した国際免許証で他国でも運転できるというシステムになっています。ご承知のように国際免許証といっても特別に試験を受ける必要はなく、日本で最寄りの運転試験場などへ行って手数料を払えば、日本の運転免許証に基づいて、日本語の他に英語、フランス語、ロシア語、中国語を併記した国際免許証を発行してくれるのです。この国際免許証というのは大きめのサイズでパスポートより一回り大きくちょっと扱いに不便。有効期限は一年。もちろん日本もイタリアもこの国際条約であるジュネーブ条約に加盟しているので、私も日本で発行された国際免許証でイタリアで運転できるわけです。
私のイタリア滞在がそろそろ1年になろうとするころ、ミラノの弁護士に会う機会がありました。このミラノの弁護士というのは以前まだ私が日本にいる間にイタリアの会社の登録などに関する法的手続きでお世話になり何度か会っています。カーラ.コロネリというこの女弁護士は歳のころなら50歳少し過ぎ、小柄で身長は1m50cmそこそこです。
コロネリ女史いわく、「あなた、外国人が1年以上イタリアに滞在すると国際免許証は無効になり、イタリアの免許証がないと運転できなくなるのですよ、知っていましたか?あ~たもそろそろ1年になるでしょう。だからイタリアの運転免許証を取らなくてはいけないわね」。
なっ、なっ、なんのこっちゃ? ボンジョールノ(こんにちは)しか知らない私がイタリアの運転免許試験なんか受けられるわけがな~い。全てに、人生にも自信がない私でもこのことだけは自信を持って断言できます。(そんなに威張ってどうすんじゃぃ!)
会社の仲間に、この運転免許証のことを話しました。日本語はかなわないにしても、せめて英語でイタリアの運転免許試験を受ける方法がないのか、聞いたのです。私の働く会社にルーチョという営業マンが言います。外国人には特別に通訳をつけて試験を受けることが出来るらしいぞ、と。それは願ってもないことで、私は、その件について調べて欲しいとルーチョ君に頼みました。
ルーチョ君は背丈が180センチを超え、脚が長くてとてもカッコいい、でも40歳前なのに前頭部がかなり禿げ上がっています。それで、ヤケクソ、かも知れませんが、バリカンで丸坊主に刈ったヘアスタイルをしています。いわゆるスキンヘッドの となりみたいなヘアスタイルです。
数日してそのルーチョ君が私に言いました。例の通訳をつけて試験を受けるということだが、通訳が試験問題を通訳してくれる時、答えも教えてくれるので絶対受かるゾというのです。これはシメタと私は思いました。どこで試験を受けられるのか更に調べて欲しいと私はお願いしました。しかし更に数日して、ルーチョ君は言うのです。どうも通訳をつけて試験を受けられるというのは間違いらしい、やっぱしイタリア語しかダメみたい。ルーチョ君は典型的なイタリア人で、とても愛想がよく、しかし時間にはとてもルーズなところがあります。でも人がいい。それで、「あんたの運転免許証について調べてやろう」と親切に言ってくれるのです。ルーチョ君は驚くべきことを言います。南のナポリへ行けば、お金を出して運転免許証が買えると言うのです。いくらかは相場はわからない、でも数千ユーロ(数十万円)らしい。来週、仕事でナポリヘ出張するので調べて来てやるとのこと。私も非合法なことは、おおっぴらにはできませんが大いに興味があります。でも偽造免許証はダメだぞ、本物でなければとルーチョ君に言います。ルーチョ君曰く「大丈夫、ナポリのギャング組織が、警察官を買収して本物を発行させるのだから、、」。アフリカなどからの不法滞在者が運転免許が正式に取れないので、ギャング組織から買っているとのこと。う~ん、マフィアなんかで有名なイタリアならありそうな話だ。いよいよ俺もマフィアの世界と繋がりを持つのか、、。ゴットファーザーのコルレオーネ ファミリーと知り合いになったような気分。
2週間ほど経ったあとルーチョ君に聞きました。ナポリで免許証が買えるという件はどうなった?と私。ルーチョ君は答えます。ナポリ出張が中止になったので、まだ調べてない。結局、2ヶ月経ってもルーチョ君は返事をくれません。そろそろ私が諦めかけていたころルーチョ君が私のところへ来て言いました。最近はアフリカからの不法入国者が急増し、運転免許証の不正発行が多く、当局の取締りが厳しくなりナポリのギャングも今は不正免許証の発行のビジネスから手を引いたとのこと。どこからどこまで本当かわかりませんが、私はこのルートを諦めました。
運転免許証にはまだ続きがあります。ある日、イタリア人の仕事仲間数人と郊外のレストランへ夕食に出かけました。この時、私はイタリアでの運転免許証の話をしました。夕食を一緒にしたメンバーの中に、これまた気のいいジョゼッペというスペイン支店駐在の営業マンがいました。ジョゼッペ君曰く、「問題ない、私に任しておけ、あんたの免許証はなんとかしてやる」。またルーチョ君と同じパターンかと思いましたが、問題ないってどういう方法なの?と私はジョゼッペ君に聞きました。彼は言いました。「自分の叔父さんが警察に顔がきくから何とかあんたの免許証を発行させてもらってあげる」。これもイタリアなら、ありそうな話だと私はすがりました。それ以後、ジョゼッペ君に2回ほどプッシュしましたが、彼の返事は、曖昧です。結局私はこのルートも諦めました。
どうです、イタリアは楽しいと思いませんか?
第15章 交通検問に引っかかる
そんなある日、私が運転中、交通検問で警察官に止められたのです。会社の帰りに買い物をしたあと、いつも通らない道を通ったのです。私は国際免許証で運転していました。前に書いたように、私はイタリア滞在から一年を過ぎたので、国際免許証では運転できないのです。しかし数ヶ月前に一時帰国したとき国際免許証を書き換えているので、国際免許証自体の期限はまだ切れていなく有効期限内なのです。さて私の車を止めた2人の警察官は、イタリア語でなにやら話しかけて来ます。当然まず免許証を見せろというのが相場です。それでもイタリア語がわからないふりをしてとぼけた反応をしてみました。言葉がわからないふりをしたとかカッコいいこと言っているけど、実は本当にわからない。
しかしその警察官はまず車のエンジンを切れとジェスチャーで言います。エンジンを切ります。そして仕方なく国際運転免許証を出します。二人の警察官はヒソヒソ話し合いながら、私の国際運転免許証から名前などをノートに書き移しています。ゲッ! 私の名前や生年月日からイタリアへ入居した日をあとで調べるのだなと思ったら冷や汗がでました。警察官達は、国際運転免許証を私に返し、蛍光塗料を塗ったステッキを動かし、行ってよろしいと合図をします。その場では何も起こらず何もなかったようにアパートまで帰ることが出来ました。しかし、あとで呼び出しが来るのではないかと、ひやひやです。実は、私と同じようにイタリア滞在が一年を越えた後、日本の発行した国際運転免許証で運転していたミラノ在住の日本人が交通事故を起こし、とんでもない目にあったとミラノの弁護士から聞いているのです。交通事故自体は軽いもので問題はなかったのですが、事故証明などで警察官が立ち会ったとき、その日本人はイタリア滞在許可証などを提示したため、一年以上の滞在が発覚し、事実上の無免許運転とみなされ、車を取り上げられたうえ、数十万円相当の罰金を払わされたのです。これは弁護士から聞いた話なのでウソではないと思います。ミラノの弁護士は、私に忠告してくれます。もしあなたが事故なんか起こしても、滞在許可証などイタリアへ住み始めたことがわかる書類は警察なんかに出さないようにしなさい、、、と。 出さないようにしなさいって、出さないで済むんですかぁ?
数日後、仲間たちと一緒にランチをとったとき、私が警察官に呼び止められて、国際運転免許証から名前などを控えられたと説明しました。同席したガリちゃんとかルーチョ君などは、私がもう国際運転免許証で運転出来ないことは知っています。しかしガリちゃんは笑いながら私に言います。「心配するな、イタリアの警察が、お前がイタリアへ移住したのがいつだとか調べるなんてことは100%ありえない。縦の連絡さえまともに出来ないイタリアの公務員が管轄を越えた部署の横の連絡を取るはずがない」とのこと。イタリアで生まれてイタリアに50余年住んでするガリちゃんの言うことを信用しよう、と思いました。気が楽になりました。そしてそれは正しかったことが今になって証明されています。何のお咎めもないのです。さすがイタリア、ビバ.イタリア。なんのこっちゃ。
第16章 イタリア運転免許証取得手順
そんなこんなで私はイタリアでは実質、無免許運転をしていました。でもまた検問で止められても、国際運転免許証を見せればうまく行くだろうと思っていました。でも事故などを起こすと、いろいろな書類を要求され、私がイタリアで運転資格がないことがバレてしまうので、安全運転に徹しました。
そんなある日、ミラノの弁護士のコロネリ女史から、日本政府とイタリア政府が運転免許証についてある合意に達したというニュースが入りました。
つまり、イタリアに住む日本人、日本に住むイタリア人に対して、それぞれの自国の運転免許証があれば、それを書き換えるだけで他国での免許証が発行されるというのです。要するに私が日本の免許証を持っていれば、イタリアでの試験は受けなくても、書類手続きだけでイタリアの免許証が発行されるということです。実は数年前はそのようになっていたのですが、外交上の駆け引きのせいで、それが中断され、私のような者が迷惑をこうむっていたのです。イタリア政府の気が変らないうちにと思い、私は早速、手続きに入りました。しかしその手続きの厄介なことと言ったら。日本の免許証をミラノにある日本領事館でイタリア語に翻訳してもらいその領事の証明をもらって来いとか、視力と身体検査に、どこかの事務所へ何曜日に行けとか、郵便局から為替でいくらいくら払い込めとか。その一環で申請書類にID(身分証明書)のコピーが必要であるということがわかりました。私はそれまでイタリアのIDを持ってはいませんでしたが、合法的にイタリアに滞在する外国人には、役所がIDを発行してくれます。日本では企業などが自社の社員に身分証明書を発行したりはしますが、公の機関が写真入りの身分証明書を発行するということはありません。パスポートや運転免許証が、それの代わりをすると言えばそうかも知れません。
私はすぐ自分の住むパドバ郊外の役所へIDを発行してもらうために行きました。警察署の発行した滞在許可証の原本を持参し、自分の写真と収入印紙を貼った申請書を提出すると、こりゃまた簡単にIDを発行してくれました。とにかく役所では必要書類の多いイタリアらしくない。少しあてが外れて拍子抜け。
第17章 結婚証明書
役所の受付のサンドラおばさんからIDを受け取り無事取得して、これで完了ですね、と私が確認して帰ろうとします。ところが、ちょっと待ってと言います。そしてガラス越しに、あなたは結婚していますかと聞くのです。当然私は「ハイ」と答えます。サンドラおばさんは中くらいに伸ばした黒い髪を後ろで束ねています。なんで私がサンドラおばさんの名前を知っているかというと、サンドラと書いた名前たてが目の前にあったからです。しかし、ケッコウ愛想のいいサンドラおばさんは妙な事を言うのです。「あなたの、役所への届出は独身となっている。結婚をしているのなら結婚証明書を提出してください」と言うのです。私は日本で結婚していますがイタリアでは結婚した覚えはないので(確か)、結婚証明書を取るとしたら日本でしかありません。でも待てよ、日本で結婚証明書なんて聞いたことがないゾ。
私はサンドラおばさんに言いました。私は結婚詐欺をしたりするつもりはないので、結婚していながら独身などと言ったことはないぞ、、、でもこんな難しいことは私はイタリア語では言えないので、心の中で思っただけです。しかし、本当に日本には結婚証明書などはないので、戸籍謄本ではダメかと聞きました。サンドラおばさんは、それしかないのならそれでいいと言います。
アパートへ帰ってから、早速日本の自宅へ電話をして、女房に戸籍謄本を取り寄せてE-mailで送ってくれと頼みました。数日してE-mailを受け取り、私はそれを土日の2日間かけて英語に訳しました。そのあと会社の仲間に頼み、英語からイタリア語に訳してもらいました。そしてそのイタリア語訳の戸籍謄本を持って役所へ行きました。日本語の戸籍謄本は原本でなければいけないので、コピーではダメだとサンドラおばさんは言うのです。また日本へ電話して郵便で戸籍謄本の原本を送ってもらうよう頼みました。ここまで来るのに2ヶ月かかりました。そして戸籍謄本の原本を持ち、私の会社の仲間が訳してくれたイタリア語の戸籍謄本を持って再度役所へ行きました。サンドラおばさんは私に聞くのです。このイタリア語訳は誰がしたのですか、と。私は、私の友人がしてくれましたと答えました。サンドラおばさんは更に言います。このような公式文書の翻訳は資格を持った弁護士などが翻訳したものでなければ無効ですと、、、。ゲッ! いまさら何を言うのだと私もアタマへ来ました。サンドラおばさんは言うのです、資格のある弁護士の翻訳には100ユーロ(約15000円)かかるよと。100ユーロも?と私は強い口調で、いや~な顔をしてサンドラおばさんに言いました。皆さん、これからが腹が立つのです。それに対して、役所窓口のサンドラおばさんの返事を想像できますか?普通の日本人なら絶対、想像できないでしょう。もし当たったなら豪華客船での世界一周旅行、、、、のパンフレットを差し上げます。
サンドラおばさんの返事はこうでした。
「そ~お、翻訳料が高いので困るのだったら、もういいわよ」
もういいわよ、とはどういうこと? 何がもういいわよなの?
サンドラおばさんは言います。
「結婚証明書はもう要らないわよ」
私は絶句しました。日本から戸籍謄本の原本を取り寄せたり、それを英訳し、更に友人に頼んで伊訳してもらい、このために3ヶ月も費やしたのです。それを「もう要らない」との一言で片付けられたのです。冗談は、よしこさん、何を、ゆうこさんです。おおっと、こんなギャグがサンドラおばさんに通じるはずがない。あーあ、これがイタリアなんだ。怒ってはいけない、こんなことで怒っていてはイタリアでは暮らしていけないぞ。実際に何か被害を受けたわけではないのだからいいではないか、、しかし、しっかし、、、握ったこぶしの震えを必死に抑える私でした。
結局イタリアでは私は独身となっているらしい。もしかしたら、このせいで結婚紹介所から、きれいなイタリアのオネエサンのお嫁さん候補の紹介とか写真とかがダイレクトメールで届くかもしれない、、それを楽しみに怒りを抑えよう。
第18章 運転免許証取得、ぶぁんずゎ~い!!
運転免許証から、話が少し横道へ反れました。イタリアでの運転免許証は結局、手続きを始めてから4ヶ月後にやっと手に入りました。これで私は合法的に大手を振ってイタリアで運転ができます。事故を起こしても大丈夫だぞぃ。おお~っと待て、無理に事故を起こす必要はないべな。このイタリアの免許証は写真付きのプラスチックカードでサイズはクレジットカードと同じ、有効期限が5年。これがあればEU加盟国のヨーロッパの国中、どこの国でも運転できます。
私は、免許証について心配してくれたガリちゃん、そしてナポリの闇ルートでの免許証の入手方法を探ってくれたルーチョ君、叔父さんのルートで免許証発行のルートを調べてくれたジョゼッペ君に、正規の免許証が手に入ったことを知らせました。彼らは私の写真入りの免許証を見ながら、「この写真は若すぎるぞ、何年前の写真だ?」とか言いながらも祝福してくれました。免許証については一件落着。後日談は、、、、ありません。
第19章 イタリアの挨拶
さて、イタリアの挨拶の言葉に関して、ひとくさり。
ご存知の方も多いと思いますが、イタリア語で、おはようとか、こんにちは、は「ボンジョールノ」と言います。こんばんは、は「ボナセーラ」。これぐらいは私でもイタリアへ来る前から知っていました。特に午後だけの挨拶には「ボン.ポメリージョ」と言ったりもします。ポメリージョは正に日本語の午後に相当します。
ところがイタリアへ住むようになって、イタリア人達とこれらの挨拶を交わすうち、私は何か違和感を持ち始めたのです。
「おはよう」と「こんにちは」に相当するボンジョールノは朝や午後の早いうち3時ごろまでに会ったとき交わす言葉です。英語で言うと「グッド.モーニングとグッド.アフターヌーン」の両方に相当します。グッドモーニングとか、おはようは、当然会ったときに交わす言葉です。そしてもし少し立ち話でもしたあとに別れるとしたら、「又ね」とか言って別れます。別れるときに「おはよう」とは言いません。ところが、ところが、イタリアでは、朝初めて会って「ボンジョールノ」と挨拶を交わし、少し話したあと別れるときにまた「ボンジョールノ」と言うのです。なんで、別れる時に、おはようなんて言うのだろう、、、これがイタリア語の挨拶言葉に対して私が持った違和感と疑問でした。周りにこのことを聞く人が誰もいなく、少しの間、私は自分の中で違和感を持ち続けていました。
そしてある日突然その違和感が吹っ飛んだのです。そのわけを発見したのです。
別れるときに言うボンジョールノは、日本語のこんにちは、ではなく「今日、これからいい日をお過ごし下さい」という意味になるのです。そして、夕方に別れるときに言うボナセーラは、こんばんはではなく「これから、いい夕べをお過ごし下さい」という意味なのです。こう解釈すると今までの私の持っていた違和感がすう~っと解消されたのです。おそらくラテン語の国々のポルトガルやスペインでも同じではないかと自分勝手に決めつけています。ただ、イタリア語の挨拶で最も有名なチャオ(Ciao)は、ポルトガル語を話すブラジルでも使いますが用法が少しだけ違います。イタリアのチャオは会ったときも別れるときにも使います。日本語の「どうも」に一番近いように思います。でもブラジルではチャオは何故か別れる時にしか使いません。私は仕事で3ヶ月ほど、ブラジルのサンパウロに滞在していましたが、その理由が分かりません。わけを知っている方は教えてください。
第20章 サンマルコ広場で、映画「旅情」を気取る
春もうららな、ある土曜日に私はベネチアの島へ一人で車で遊びに行きました。特に訪れたいところがあったわけではありませんが、のんびりとベネチアを散策したい気分になったのです。島の入り口のローマ広場から水上バスに乗り30分ちょっとでサンマルコ広場へ着きました。サンマルコ寺院の前にある広場なのでサンマルコ広場と呼ばれています。見慣れた風景ですが気候がよくなったせいか、サンマルコ広場は世界中からの観光客でいっぱいです。古い映画をご記憶の方は知っておられるかと思いますが、このサンマルコ広場は、アメリア映画の「旅情、原題Summer Time」でキャサリーン.ヘップバーンとロッサノ.ブラッツイが出会った場所です。広場の屋外のカフェ(喫茶店)でこの映画のヒロインのジェーンとレナートは出遭ったのです。
私もロッサノ.ブラッツイを気取り屋外のカフェの椅子に腰掛けました。白いジャケットを着た年配のウエーターがテーブルへ来ます。私はプロセッコ、イタリア北部地方で作られる炭酸入りの白ワイン、を注文します。葉巻をくゆらせながら私は気取りまくってプロセッコのグラスを傾けます。冷えていてとてもうまい。目の前を観光客が行き交います。
私はイタリアに住みつく前から、出張のついでに何度もベネチアへ来たことがあります。当然、私も観光客であり来訪者でした。しかし、その日は目の前を行き交う観光客を見ていると自分は土地の者だという感覚になりました。お~ぅ、今日も世界中から観光客が来とるな、、という感覚になるのです。日本からの女子大生らしい数人のグループが観光ガイドブックと地図を広げながら、どっちへ行ったらいいのかなどと話し合っています。実は私のイタリアの会社には日本人は私一人なので、なかなか日本語を話す機会がありません。つまり私は日本語が話したくてしょうがないのです。それで日本から観光に来た人などが困っていると助けたくなるのです。日本語が話せるからです。でも、その道に迷ったらしい女子大生達は、私がすぐ傍にいるのに私に道を尋ねようとはしないのです。「俺に聞いてくれよっ!」と心の中で叫びながら私はチラチラと女子大生達を盗み見ます。結局、彼女達は行き先がわかったらしく、無常にも私を無視して立ち去りました。なんと薄情な奴らだ。でも女子大生達は私の存在に気付いていないのだから、薄情者などと言う私は逆恨み以外の何者でもありません。スンマセン。
考えてみると、女子大生達から見れば、私は日本人か、なに人かわからないのに聞けるわけがありません。見かけからして私は東洋人だとはわかるでしょうが、、、。それにもし私から親切そうに声をかけたりしたら「怪しい東洋人の人さらい」と思われかねません。観光客に親しげに話しかけて来る人に注意しましょう、と書かれたガイドブックを読んだことがあります。そうか、そうだったのか。私は、サンマルコ広場で自問自答し、結局は日本語を話すことも出来ず寂しい思いをしたのでありました。
私の知人で台湾に単身で長い間滞在している日本人がいます。その人が私に言ったことがあります。人間が、人に対して一番親切になれるのは「私のように単身で外国に滞在する人が、母国から来た人に会ったときです」と。日本語が話したいと思ったり、人恋しくなって、何か力になってあげたいとか、困っている母国の人に親切にしてあげたくなるのだと言うのです。その通りです。まさに今の私がそうです。
第21章 民間親善大使
そして、私が日本人観光客と話し、親切にしてあげる機会が突然訪れたのです。
あるとき、私は仕事上の来客を出迎えるためにベネチア空港へ行きました。空港の建物の出口あたりで、新婚旅行らしい日本人のカップルが不安そうな顔をしてガイドブックを見ているのです。ガイドブックの表紙に「イタリア観光」と日本語で書かれていたので私には、その2人が日本人だということがすぐわかりました。その旦那さんらしき若い男の人が私の方をチラチラ見ています。そうそう、彼らから見れば私が日本人かどうかはわからないのです。何か困った様子です。しかし、しかし、人さらいと思われるのが怖いので私からは決して話しかけません。次の瞬間、その旦那さんらしき人と目線が合いました。その人はおずおずと私に歩み寄り「エクスキューズミー」と言います。私は待ってましたとばかり、しかし、おもむろに「何でしょうか?」と日本語で答えます。その男の人の顔がパッと輝きました。「日本の方ですか?」と弾んだ声でした。異国で困っている時に日本人に会えたのです。きっと私は神様か仏様に見えたことでしょう、、、私はそういう上品な顔はしていないのですが。
そのカップルによると、関西空港からパリ経由でベネチアへ来たのだけれども、ベネチアへ着いたら、スーツケースが紛失して届いていないとのこと。一応自分達で荷物紛失届けの手続きをしたけど、これからベネチアのホテルへどうやって行ったらいいのかわからなく荷物が出てきた時どうしたらいいのかわからず困っていたとのこと。経験されている方もおありでしょうが、こういうとき、通常はスーツケースの鍵などは空港へ預けます。荷物が遅れて届いたとき、税関でその荷物の検査を要求された際に開けられるようにするためです。しかしそのカップルは、イタリアの空港職員が信用できず、スーツケースの鍵を預けなかったというのです。そうすると彼らは荷物が届いた時、また空港へ来なければなりません。彼らは、そのつもり、つまり空港へ来るからいいと言うのです。しかし鍵を預けておけば、空港へなど来なくても、運送会社を使って自動的にホテルへ届けてくれるのです。私は旦那さんらしい人に聞きました。そのスーツケースにはカメラとか高価なものが入っているのですかと。返事は、衣類や洗面具などが入っているだけです。私は言いました、イタリアがいくら危ないといっても、空港職員はあなた達の衣類なんかを盗ったりしませんよ。だからスーツケースの鍵を空港職員へ預けなさい、荷物は明日には、まずあなたたちのホテルへ届けてくれるから、、。そして私は彼らと一緒に荷物係の所へ行き、鍵を預け、書類訂正のお手伝いをしてあげました。そして、ベネチアの島へ行く船の乗り場を教えてあげました。
でも彼は言うのです。私達はベネチアで3泊して、そのあとフィレンツェへ行くのですが、ベネチア滞在の間に荷物が届かなかったらどうしよう、フィレンツェのホテルの名前と住所も空港へ届けたほうがいいでしょうかと。私はアドバイスしました。3日の間には必ず荷物が届くから大丈夫、もしフィレンツェのホテルの名前や住所を届けたら、それこそイタリアのことだから、明日届いても、そちらへ間違って送られてしまう可能性があるよと。彼は納得しました。しかし更に言うのです。もしベネチアに3泊する間に荷物が届かなかったら、フィレンツェへ移動するのを延ばしベネチアに3泊以上することになる。しかしベネチアでホテルが延長できるのかも、また別のホテルが見つかるかもわからないので心配ですと。2人は本当に心細そうでした。私は胸を叩いて言いました。大丈夫、ベネチア滞在を延長することになってホテルが取れなかったら私へ電話しなさい、2人ぐらいなら何泊でも泊めてあげましょうと。私は自分の名刺を渡しました。名刺には私の携帯電話の番号も書かれているので、ここへ電話してくださいと伝えました。私はそのとき旦那さんの名前を聞きました。「新藤」ですとのこと。彼らが、あまりにも不安そうだったので私は2人と同じバスに乗ってベネチア島行きの船の乗り場まで一緒に行ってあげました。バスの中で私は奥さんらしい人に言いました。こういうことがあるとベネチアはきっと印象に残って、あとになるととても楽しい思い出になりますよ、かえって幸運だったと思ったほうがいいかもネ、と。しかし彼女は、悲壮な顔をしていて、そのような余裕はありませんでした。そうそう、私が彼らのことを助けてあげている間、本来の私が空港へ行った目的の人、つまり私が出迎えに行った人は、ず~ぅっと我慢強く待っていてくれました。
それから数日間、私は新藤さんからの電話があるのか気にしていましたが結局電話はありませんでした。きっと予定どおりに荷物は着いたのでしょう。No new is a good news(便りの無いのは良い知らせ)とは、このことです。
それから2週間ほど経ったある日、私のパソコンにEmailが届きました。あの新藤さんからのものでした。彼らは広島に住んでいて、無事に帰国したとのこと。そのEmailにはオーバー過ぎると思えるほど私に対するお礼の言葉が書かれてありました。「ベネチアで大変親切にしていただき、お陰で楽しい旅ができました、頂いたご親切は一生忘れません」と。いいえ、いいえ、私も日本語が話せてとても嬉しかったので、お礼を言いたいのは自分の方ですと思ったけど私のEmailの返事には書きませんでした。ただ、私はEmailで書きました。「どうです、私が言ったとおりでしょう? 無事に帰る事が出来た今、ベネチアはとても印象深い町となり、荷物がなくなったこともとても楽しい思い出になったでしょう? 奥さんもそう思っていませんか?」と。それには返事はありませんでした。ま、いいけどね。しかし、それ以来私は、日伊友好民間親善大使を自負しています。
愛すべきイタリア、その2(by Stefanoさん)
第22章 イタリアの結婚式に招待される
そろそろ夏になるという頃、ガリちゃんが私に言いました。ロベルタが結婚することになったから、お前を結婚式に招待したい。ガリちゃんの長女であるロベルタはとても優秀でパドバ大学の法律学科を卒業し弁護士になるための研修中とのこと。歳は30。結婚相手のアレッサンドロ君にも私は以前会っていて知っています。
ついでながらイタリア人の名前、それもファーストネームについて一言。
イタリアに限らず多くのラテンの国の人たちのファーストネームには一定の法則があります。ラテン語には男性名詞と女性名詞があることは語学に興味のある人は知っておられると思います。名前も同じです。男の名前の語尾は「o」で終わり、女の名前は「a」で終わります。例外はありますが多くがそうです。ガリちゃんの娘はロベルタ(Roberta)です。これが男になるとロベルト(Roberto)になります。女のシルビアがいれば男はシルビオ。男のジーノがいれば女のジーナがいます。ロベルタの旦那さんになる人はアレッサンドロですが、これが女の名前になるとアレッサンドラとなります。ですからイタリア人の男の名前はパオロやフランコなどの場合は「o」で終わります。日本人の女の子の名前は「子」で終わるものが多くあります、最近はそうでもないのですが。私のイタリア人の友人が私に聞いたことがあります。例えば、日本人の名前で純子(Junko)という名前の場合、「o」で終わるのに何で女の名前なのかと。イタリアで「コ」で終わる名前は男だよと。そんなこと知ったことか。私はうまく説明が出来ませんでした。でも「子」は日本ではGirlを意味するので女の子の名前によく使われるんだよというのが精一杯でした。
さて、それまで私はイタリアの結婚式には出たことがなく興味津々です。そして式にはどのような服装で行けばいいのか。私は日本から、黒いダブルの略式礼服を持って来ていました。そこでガリちゃんに聞きました。どんな服装で行けばいいの? ガリちゃんが怪訝そうな顔で言います。どんなのでもいいよ、自分の好きな服装でいいよとのこと。それでも納得がいかず、黒い礼服がいいのか?と聞きました。別に黒い服などと決まっていないよ、本当に好きな服でいいよと言います。結局よくわからず、私は礼服はやめ、普通のダークスーツにしました。実際に結婚式に行って驚きました。ガリちゃんの言ったとおり列席者は皆おもいおもいの服装で、男の列席者の中には、ズック靴にポロシャツの人もいました。
第23章 イタリアの結婚式
イタリアの結婚式の実況中継をします。
まず結婚式当日、私は花嫁の家であるガリちゃんの自宅へ行きました。そこには友人、親戚が数人集まっていて、ワインやジュースを飲み、サンドイッチやクッキーを食べながらだべっています。少ししたら花嫁である白いドレスのロベルタが現れます。長いドレスの裾を両手で自分で持ち大股で歩いてきます。彼女は親戚や友人に混じってサンドイッチなどをかじります。私は用意していた贈り物をロベルタに渡しました。前から準備していた、源氏物語絵巻のミニチュアたて屏風です。これからどうなるかと思っていた頃、そろそろ行こうかということになり、皆数台の車に分乗して教会へ向かいました。教会には花婿のアレッサンドロはじめ親戚、友人そして子供達、合計50人あまりの人が揃っています。アレッサンドロは日本のようにモーニングなどではなく、普通のダークスーツです。でも胸には白いバラが付けられています。アレッサンドロ君はスラリとした細身で顔は画家のダリのような風貌です。
教会の椅子に皆が座った頃、花嫁が、父親であるガリちゃんに腕を組みながら祭壇に向かって歩いてきます。花嫁のドレスの長い裾を2人の可愛い女の子が持っています。そのあと神父が2人現れ、その前に花婿花嫁が並んで立ちます。神父がなにやら言っています。キッと、あなたは健やかなときも病めるときもお互いを助けあい一生ともに生きて行くことを誓いますかなどと言っているに違いありません。少しすると列席者が皆突然立ち上がります。そしてオルガンの演奏が始まりみな一緒に歌を歌い始めます。あたしはもちろん歌など歌えずただ周りを見回しているだけです。そのあとまた神父がなにやら言っています。きっと聖書の文言を引用しているのでしょう。カメラマンがあちらこちら動き回りフラッシュを焚き続けます。そのあとテーブルの上で神父がなにやら紙に書いています。
子供があちこち走り回っています。花婿と花嫁がキスをしています。とても厳かですがちっとも堅苦しいところはなく和やかな結婚式です。始まりから終わりまで、それでも45分くらいかかりました。
式の始まる前に私はガリちゃんに、「おめぇ、今日は泣くなよ」と言っておきました。ガリちゃんは「あほな、俺が泣くか」と言っていました。厳かな式が終わってガリちゃんが花嫁と教会の建物の外へ出て、また皆から祝福を受けます。その時、ガリちゃんの目に涙が滲んでいるのを私は見逃しませんでした。ガリちゃんのビシッと決まったダークスーツの胸にも白いバラがつけられていました。それまでタバコを我慢していた人達が教会の建物の外でスパスパやっています。花嫁の妹であるマルタもニコニコしてロベルタと話しています。
第24章 披露宴
そのあと十数台の車に分乗して披露宴の行われるレストランへ向かいました。披露宴の出席者も同じメンバーの50人余。白い布をかけた長いテーブルの端に、花嫁花婿、そしてその両側にテスティモニーと呼ばれる二人が座り、隣に両親が座ります。テスティモニーと呼ばれる人は、日本でいうと媒酌人に近いかも知れませんが、友人であったり家族であったりします。このテスティモニーは「証人」という意味があり、結婚式の時から、ずっと花嫁花婿の傍に付き添っています。2人であったり3人であったりします。教会で神父が書いていた書類にもテスティモニーは署名し結婚の証人になるのです。
イタリアでは教会と役所と特別な取り決めがあり、教会で誓約書に署名すると、それが自動的に役所へ送られ結婚の届出になるのです。日本では政教分離の原則から、このようなことは決してありません。
披露宴はとてもくだけたもので、日本のように媒酌人や来賓のスピーチなどは一切ありません。みなでワインをのみ食事をしながらわいわい騒ぐのです。花嫁もかしこまって椅子に座っているだけではありません。花嫁のロベルタは時々列席者に向かって大きな声を張り上げ「みなさんドンドン飲んで食べてください」などと言っています。テーブルにはワインボトルとか水の入ったボトル、グラスなどがところ狭しと並べられています。突然テスティモニーが水の入ったボトルをスプーンでチンチンと叩き始めました。これは、花嫁花婿にキスをしろとの催促です。誰かがボトルを叩いたら花嫁花婿はキスをしなければなりません。食べ物を口にほおばっていた花婿のアレッサンドロはあわててナプキンで口を拭い花嫁にキスをします。披露宴のあいだ、誰かがボトルをチンチンならすことが何度もあり、その都度、花嫁花婿は慌ててナプキンで口を拭ってキスをしていました。花嫁のロベルタはヘビースモーカーで、披露宴の間も席に着いたまま皆の前でタバコをスパスパ吸っています。そして時折、席を立ち、長いドレスの裾を両手で持ち上げ列席者の所へ行って話し込んでいます。披露宴はなかなか終わりません。4時間くらいたった頃、ぱらぱらと帰り始める人が出てきます。日本のようにきちんとお開きになり一斉に皆さんが帰るということはなく、みんな自分の都合で時間がきたら帰って行きます。花嫁花婿は先に帰るわけにはいきませんがね。
私は花嫁に言いました。ロベルタが結婚してしまうと、もう私にティラミスを作ってくれないのか?と。 そうです、ロベルタはティラミスを作るのがとても上手なのです。私がティラミスを好きだと父親から聞いたロベルタが以前私にティラミスを作ってくれたのです。ロベルタの作るティラミスはうまいと友人の間でも評判とのことです。確かにロベルタの作ってくれたティラミスは絶品でした。ロベルタは言いました。「大丈夫よ、結婚しても近くに住むからまたティラミスを作って届けてあげます」
ティラミスは少し前に日本でも一時ブームになったので、多くの方はご存知だと思います。
日本のイタリアンレストランのティラミスのメニューに「とってもおいしく天国まで昇るおいしさ」というのがありました。イタリア人に言わせると、天国まで昇るというのはオーバーだとのことです。ティラミスというのは「私を引っ張り上げて」という意味があるとのことですが、それはちょっとだけ引っ張りあげるというニュアンスで、天国までではないとのこと。それにしても、あのクリームのようなお菓子が「私を引っ張り上げて」という意味とは妙な。
イタリアの結婚式では日本のように、ご祝儀という現金を持ってくるということはないようです。少なくとも私が住む北イタリアでは。それでも引き出物として、小さいガラス細工の水中花の入った置物が配られました。日本のように会社の取引上の義理で出席したとかということはなく、お色直しとかで主人公達が長い間いなくなってしまったりすることもありません。本当に心から祝福したいという人たちが集まり、派手ではありませんが、とても心のこもったイタリアの結婚式、披露宴でした。さてこれには後日談ならぬ、前日談があります。次の第25章を読んでくらはい。
第25章 スペインでの出来事
このロベルタの結婚式の3日前、私は仕事でスペインのバルセロナへ行くことになっていました。夕方にベネチア空港から発つバルセロナ向けのイベリア航空の直行便です。その日は仕事が立て込んでいて、おまけに3日ほどイタリアを留守にするので溜まっていた仕事を処理するのに追われていました。ちょっとナメていたせいもありますが、会社を出るのが少し遅れました。バルセロナ行きのフライトに乗るには時間的にギリギリでした。運悪くベネチア空港へ行く高速の料金ゲートが混んでいました。この高速はスロベニアへ向かう大型の長距離トラックなどが沢山走り、混雑するのです。ベネチア空港へ着いたのは飛行機出発前の35分前。
空港駐車場から小走りにイベリア航空のチェックインカウンターへ急ぎました。チェックインカウンターが混んでいたら危ないかも知れないと焦っていました。チェックインカウンターには並んでいる人がいなく「シメタ、チェックインはスムースだぞ」と一人ほくそえみ、航空券とパスポートをカウンターへ出しました。カウンターにいた2人の若いオネエサンのうちの一人が事務的に言います。チェックインは締め切った。えっ? 締め切ったって? 道理で誰も並んでいないわけだと一瞬思いました。しかしバルセロナへ着いたあとぎっしりスケジュールが組まれているので、この飛行機に乗らないわけには行きません。「なに言ってんだよ、出発までにまだ30分もあるじゃないか。乗せてくれよ」と悲壮な声で私がせがみます。オネエサンは、もうダメよと繰り返します。私がしつこく食い下がったからか、オネエサンはどこかへ電話をかけました。きっと出発ゲートだと思います。その電話を切ったあと、オネエサンは私に向かってやはり事務的に言いました。「締め切りました」それでも私は諦め切れず泣きそうな顔をしていると、責任者らしい40歳前後の金髪のおばさんがカウンターへ来ました。私はそのおばさんに向かって腕時計を指しながら言いました。「まだ出発まで25分もあるじゃないか、何とか乗せてチョウダイ」 責任者らしいおばさんは、笑顔を見せるでもなく電話機を取り上げ、また出発ゲートらしいところと話しています。そして私の方へ向き直り一言、「OK」。
すぐチェックインの手続きが始まり、ゲートへ急いでくれと言います。手荷物を持っていたけど、走るくらいは問題ない。結局私はギリギリ間に合い予定の飛行機に乗ることができました。
飛行機の座席に着いたあと、ホッと胸を なでおろしながら私は考えました。もう締め切りましたと言ったオネエサンと、あとからOKと言ってくれた責任者らしいおばさんとの違いをです。初めに出発ゲートへ電話をした若いオネエサンは電話でどうも「もう締め切ったよね」という言い方をしたため、ゲートからの返事は当然、締め切ったと返ってきたのです。しかし責任者のおばさんは、出発ゲートの担当に対してそのような言い方はせず、ただ「もう一人行くから」と、質問ではなく、決めつけた一方的な言い方でした。この2人には初めからそれぞれの結論を出していたのです。若い方は初めっからダメ、責任者はどうしても乗せてあげよう、、と。どうです、これはイタリアに限らず、我々も学ばなければなりませんネ。面倒なことは初めっから避けようとしたりしないように、、、、。
さてバルセロナでの3日間のスケジュールをこなしたあと、予定通りベネチアへ帰るため、今度は早めにバルセロナ空港へ向かいました。出発の時間まで余裕がありました。
ところがところが、指定のカウンターに並んでいても、いつまで経ってもチェックイン手続きが始まらないのです。チェックインカウンターに並んだ人は私を入れて8人。列の先頭のイタリア人らしき男の人がカウンターの係員と話しています。係員がカウンターの外へ出てきて、我々に言います。このフライトはキャンセルになりました。な、なんと、せっかく時間通りに来たのに今度はキャンセルだと? その係員曰く、ベネチア空港がストで飛行機が降りられないとか。待っていた8人の乗客は、なんてこったという顔をします。
私も思わず言ってしまいました、「マンマ.ミーヤ」。マンマ.ミーヤは今では日本でもよく使われるみたいですね。ご存知のない方のために又イタリア語の講義をひとくさり。マンマ.ミーヤ自体は「私のお母さん」という意味ですが、英語の「マイゴット!」と同じ意味で、「何てこった!」という時に使われます。イタリアでは、マンマ(お母さん)は神のごとく大きな存在なのです。これホント。
さてくだんの飛行機会社の係員は、結局、ベネチア行きのお客様は別のフライトでバルセロナからナポリへ飛び、ナポリで乗り換えてベネチア行きの便に乗っていただきますと言うのです。でもベネチア空港がストで降りられないのなら、どこ経由で行っても降りられないんじゃないのぉ~。素朴な疑問ですが、きっとナポリ経由で時間をかけてベネチアへ着けばそのころはスト解除ということだな、と自分の質問に自分で答えます。
バルセロナ発ナポリ行きのフライトまでは時間があります。スペインは正にラテンの代表みたいな国なので、そのスペインの航空会社のイベリア航空もいい加減かもしれない。ことによったら、ナポリへ着いても乗り継ぎがうまくいかなく、もしかしたら、ナポリで1泊ということにもなりかねないぞと私は思いました。でもいいや、ナポリで時間があったら観光が出来るぞ。「ナポリを見てから死ね」と言われるほどナポリはきれいな港があるんだ。一夜にして灰に埋まったポンペイの町、そしてベスビオ火山、、。早くもナポリへの夢が広がるのでした。
待てよ、ナポリの観光なんぞ夢見てる場合じゃないぞ、明日は友人ガリちゃんの愛娘ロベルタの結婚式だ。最悪の場合、サポリ泊りで出席出来なくなってしまうかも知れないぞ。私は慌ててガリちゃんに電話をかけました。もちろん私の携帯電話はヨーロッパのどこからもかけられます。ヨーロッパの携帯電話は、世界中どこからでも、特別な手続きなしにどこへでもかけられます、日本と韓国へ行った時だけを除いて。
私はガリちゃんに言いました。バルセロナからナポリ経由でベネチアへ帰ることになったので、もしかしたら明日の結婚式に出られないかも知れない。もし遅れるようなことがあったら明日の朝また電話するわ、と。私はバルセロナ発ベネチア着のフライトがキャンセルになったこと、そしてその理由がベネチア空港のストで降りられないことを伝えました。ところがなんと、ガリちゃんは言うのです。「ベネチア空港はストなんかやってないぞ」と。
えっ? イベリア航空の係員が言ったことと違うぞ。そして我々はついに気付いたのです、イベリア航空のウソを。その飛行機は120人くらいの座席があります。120人乗りの飛行機をたった8人の乗客だけで飛ばしては採算が取れないので、そのフライトを飛ばすのをやめたのです。私は以前、台湾で同じ経験をしたのを思い出しました。台南から台中へ飛ぶ時、やはり乗客数が少なく、並行して飛んでいる別の航空会社のフライトに乗せられたのです。その時はちゃんと説明があり、また飛行ルートも時間も変らなくて問題はありませんでした。
でも、それならそうとイベリア航空は言ってくれればいいのにね。しかし、きっと乗客の怒りを恐れたのでしょう。さて迷惑をこうむった8人の中に、英語もイタリア語もスペイン語も全くわからないロシア人の親子連れがいました。50歳くらいの背の高いお父さんと10歳前後の男の子2人です。彼らはことの成り行きが全くわからずオロオロしていました。
私がロシア語の通訳をしてあげられればと思ったのですが、オーチンハラショー(ベリーグッド)とスパシーバ(ありがとう)、ダスビダーニャ(さようなら)の三つのロシア語しか知らない私では役に立ちません。ここでダスビダーニャと言ったらロシア人親子は泣きそうになるでしょう。
そして8人の中にリーダーが現れたのです。イタリア人の45歳くらいの品のいいおばさんで英語も話します。ナポリ経由でベネチアへ行くことになったけど、我々8人はナポリ空港で、はぐれないようにグループで一緒に行動しましょうというのです。というのはバルセロナからナポリまでの搭乗券はもらえたもののナポリからベネチアまでの搭乗券はなく、ナポリへ着いてから8番カウンターへ行ってくれなどというのです。8人ともナポリへ着いてからどうなるやらと思いました。このリーダーになったおばさんはイタリア人だからイタリア人の「いい加減さ」を知っているからだろうと思います。
グループで行動することに誰も異存はありません。そのリーダーのおばさんはパドバ大学の職員をしていると言っていました。そのリーダーが英語とイタリア語で、ロシア人家族に説明します。やはり通じないので、とにかく我々について来なさいという説明をしたようです。またもう一人、イタリア人のサブリーダーともいうべき人が現れ、みなのことを心配してくれるのです。予定の飛行機に乗れなくなったのだから、ベネチア空港であなた達を出迎えに来ている人があるのなら連絡しなくてはいけないとか。私に対しても心配して同じ事を聞いてくれましたが、私は出迎えは誰もいなく空港に車を停めてあるから大丈夫ですと答え、その親切にお礼を言いました。東洋人の私が空港に車を停めてあるからと言うのを不思議そうに思ったようでした。私はすかさず、パドバに住んでいるんですよと付け加えました。
このリーダーとサブリーダーのお陰でナポリ空港での乗り継ぎのチェックインカウンターでのトラブルもすぐに解決でき我々8人は同じ日の夜遅くベネチア空港へ着きました。ストをしているわけではないので無事に降りられたのは当然です。
そして私は無事、翌日のロベルタの結婚式に出席出来たのです。せっかくのナポリ観光のチャンスを逃したのは残念でしたが。
第26章 朝市のオバサン
ある土曜の朝、久しぶりにパドバの街の中心にある朝市へ食料の買出しに行きました。土曜日の午前中にだけ開かれるあの朝市です。
広場の屋台の野菜を売っているお店へ行き、私は「ネギ」を見つけました。日本の長ネギと殆ど同じですがちょっと短め。ネギの束を手に取ろうとすると、お店のオバサンが「ノー、ノー」と言うのです。「えっ?」と私。するとオバサンは強い口調で言うのです。「ここはスーパーと違ってセルフサービスではないので、あなたは手を触れてはいけない」。そうですかぁ~。それならそれでいいけど、このネギを3束くださいと私。ところがオバサンは、ちょっとしなびた古いネギを取って紙の袋に入れようとするのです。私は新鮮なほうを指差して「こっちのをチョウダイ」と言います。オバサンは「これもあれも同じだよ、だからこれでいいよ」と古いしなびたのを売りつけようとします。ねぇオバサンたらっ!、同じなら私の欲しいと言っているのをチョウダイよ。でもオバサンはどうしても古いほうから売りたいので、同じだよと言ってガンとして譲りません。
オバサンは私にイタリア語が通じないと思ったのか、自分の右手と左手の人差し指を平行に並べて、ジェスチャーで、ステッソ(同じ)だと繰り返します。なるほど、イタリアでは同じということをジェスチャーで示す時は人差し指を2本並べるんだ。イタリアのボディランゲージを一つ覚えてちょっと勉強になったなどと自分に言い聞かせていました。しょうがないか、私はオバサンに負けて古いネギを1束だけ買いました。3束買おうとしていましたが1束だけにしたのが、私のせめてもの抵抗でした。古いものから売ってしまいたいというオバサンの気持ちはわかるけどね。
第27章 イタリアのダンディたちのおしゃれ
イタリア製の衣類は日本と比べると高いように思えます。特に最近の日本ではアジアで生産したものが多く売られていて、しかも品質は悪くなく価格も驚くほど安くなっています。この日本で売られている安い衣類とイタリアの自国製のものと比べると、やはりイタリア製はかなり高く感じられます。衣類といっても下着から、コートまでいろいろあります。
イタリアのおしゃれな男たちは、スーパーとか量販店でスーツやジャケットなどは買いません。最高級の裕福層は、もちろんテーラーメードの注文服を作ります。日本でいう「イージーオーダー」というのもあります。しかし多くの、ある程度お金を持っている男達は、行きつけのブティックを数軒もっているのです。季節が変わったりして、例えば冬物のコートが欲しくなったとします。そうすると、行きつけのブティックへ行くのです。そしてブティックの店員に「こういう感じのコートが欲しい」と言うのです。行きつけですから、ブティックの店員はそのお客さんのサイズなどは大体頭に入っています。そして、その人のセンス、好みなどもわかっているのです。それで、店員は2~3着の色違いとかタイプの違うコートを持って来て、これなんかどうですか?と示すわけです。そうすると大抵の場合、客はその店員の選んだ数着の中から決めることができるのです。客が新しいコートを本当に買おうと思っているときは、ホント短時間で決まってしまうことが多いのです。ある意味、ブティックの店員がスタイリストの役目をするようです。
おしゃれなイタリア人でも、もちろんいいものを安く買いたいと思っています。イタリアではクリスマスシーズンは、殆どのショップは書き入れ時です。クリスマスセールが終るとバーゲンセールが始まります。でも冬物衣類は、すぐではありません。12月末、1月ではなく、多くのショップは2月に入ってからバーゲンセールをします。ある2月の初め、友人のガリちゃんが「おい、今日の夕方、俺がコートを買いに行くからお前も一緒にどうだ。お前が日本から持ってきているコートは薄手なので北イタリアではダメだ。もっと厚手のものが要るぞ」と言います。「そうだな、俺も一緒に行くわ」と私。パドバの街の中心にあるFURLANという名前のコート、ジャケット専門店へ行きました。ここがガリちゃんの「行きつけのブティック」らしいのです。
ガリちゃんが店主らしいオジサンに何やら話しています、きっとこういう感じのコートが欲しいと言っているのでしょう。私は感が鋭いのです、知ってましたぁ? そのオジサンはニコニコ顔でガリちゃんの話にあいづちを打ちながら聞いています。その後、オジサンがハンガーに掛かった陳列品の中から3着のコートを選んで持って来ます。ガリちゃんがブツブツ言いながら、1着目、2着目と試着します。5分も経ったでしょうか、ガリちゃんが「これにするわ」てなことを言って購入決定。
そして、ガリちゃんが私に言います。「お前はどうする? 今はバーゲンで2割引きだぞ」。「そうだな、いいのがあれば」と私。 ガリちゃんが店のオジサンに何やら言います。例によってオジサンが2着のコートを私のために選んでくれました。マントのような形をしたコートで、紺色と濃い緑色の2着です。これなら空が飛べそうです。ガリちゃんが言います。「これはオーソドックスな形で、ここ30年くらいデザインは変わっていない」。 へぇ、そうなの。私もすかさず、「これにするわ」、と紺色のものを選びました。ガリちゃんにつられたのか、私も3分で決定、、、でした。
第28章 イラリアンダンディの足元のおしゃれ
おしゃれなイタリア人男性は、特に靴に気を遣います。スーツ、ジャケットなどの着るものの他に靴にも結構お金を遣います。私も、せっかく革製品の本場と言われるイタリアに住んでいるのだから、カッコいい靴を買おうと、かねがね思っていました。以前にも何度か靴屋さんへ行ってみたのですが、なかなか気に入ったものが見つからず、しかも自分の足の形がイタリア製の靴に合わないのです。一言で言うと、イタリア人の足は細くて長い、一方私の足は幅が広い。
それで私はイタリアで靴を買うのを殆ど諦めていました。しかし、オーダーメードの靴もあると聞きました。よしっ、思い切ってオーダーメードで靴を作ってみよう、、、と思ったのですが、聞いてみると注文で作る靴は安くて5万円、高いのだと20万円以上もするというのです。これではちょっと躊躇します。でもイタリアの人たちは高い靴を買ったときは、一生ものといわれるほど大切にし、何度も修理をして長い間履き続けるのです。
土曜日のある日、食料品を買った帰りに靴屋さんを何軒か覗いてみました。ちょっと気に入った形の靴がショーウインドーにありました。思い切ってお店の中へ入りました。年配のオバサン店員が対応してくれました。これと同じもので私のサイズ、イタリア式で40、のものはありますか、と尋ねました。そのオバサン店員は、ちょっと残念そうな表情で「無い」の一言。ダメか、やっぱしぃ。せっかく買う気になったのにぃ~。
それでまた別の靴屋さんのショーウインドーを覗いてみました。なかなかいいのが目にとまりました。色は明るい茶色。そして、お店の中に入りました。人のよさそうなオジサンが対応してくれました。私の気に入ったデザインのもののサイズをお願いし、試しに履いてみました。な、なんと、つま先も横幅もほぼピッタリなのです。感激です、いままで殆ど諦めていたのですから。よくよく見ると、明るい茶色というか、赤が混じった色です。ちょっと自分には派手すぎて照れくさいという感じ。でも待てよ、友人のルーチョ君なんか、いつかもっと赤い色の靴を履いていたではないか。しかしイタリアの男なら赤い靴でも ちっとも違和感がなく似合ってしまうんです。よっしゃ、という感じで決心しました。そして、その赤茶色の靴を買ってしまいました。でもやっぱ、色が派手すぎるかなぁ~。
第29章 便利さの追求と自然環境
イタリアの野菜や果物などの価格は日本に比べて安いと感じます。野菜とか果物は、日本のように温室栽培を殆どしません。今の日本は季節感がないと言われます。例えば、4月5月が旬のイチゴでも日本ではスーパーで年中売られています。温室栽培されているのですよね。オイルを焚いたり夜中でも電気をあてたりしてエネルギーを使っているのです。太陽光を浴びないで育った野菜や果物はそれに含まれるビタミンが通常のものよりはかなり低いと言われています。イタリアでは、スーパーや市場では殆どその季節に自然にできるものしか売られていません。昔の日本では、八百屋さんで売られている野菜なんかで季節を感じたものです。その点では、イタリアでは市場やスーパーで季節を感じることができます。一年中、どんなものでも手に入る日本は便利かもしれませんが、長くイタリアに住んでいるとイタリアのほうが自然でいいと感じるようになりました。
またコンビニは、今や日本の街角ごとに1軒はあるほどです。そして夜間営業のお店には夜遅くまで、こうこうと電気がついています。これも大きなエネルギー消費です。イタリアにはコンビニはありません。ましてや深夜営業のスーパーなどはありません。イタリアへ来た日本人は「コンビニがないなんてイタリアは不便な国ね」などと言います。しかし日本は便利さを追求するあまり、多くの環境破壊をしているのです。
昨今でも日本ではCO2を削減する努力をしていると声高に言っています。野菜、果物の温室栽培やコンビニの深夜営業などでエネルギーを消費し、たくさんCO2を出しておいて、京都議定書ではCO2削減の立派な提案をしていると威張っています。その前に、まずCO2を初めから出さないように考えるということを忘れているのではないでしょうか。ゴミを散らかしておいて、私は立派な掃除機で掃除をしているからいいだろうと言っているようなもんです。まずゴミを出さないようにしてくださいヨと言いたいですね。
日本人は、自分達がいつも正しいと思っているかのようです。日本と同じでない国に対しては、遅れているとか不便な国だとか言います。多くの日本人は、世界の中において自分達が異常だということに気がついていないのです。柄に似合わず、ちょっと真面目な話をしてしまいました。
第30章 コミュニケーション
イタリア人の思考過程は、日本人と違うように思います。
私の周りのイタリア人で日本語がわかる人はいません。そうすると私は英語かイタリア語で話さなければなりません。コミュニケーションをとろうとするときは言葉がその主な役割を果たし、とても重要な要素ですが、同時にお互いの思考過程、知識のバックグラウンドなどもまた大切な要素だと思います。物事を考える基準が異なっていたりすると意思疎通がうまく出来ません。
物事を考える基準で、例えば、車の燃費の話をしようとします。日本では、この車はガソリン1リッターで何キロ走れるかと燃費の表現をします。リッター10キロは延びるなぁ~などと言います。イタリアでも同じように言いますが、人によっては、100kmを走るのに何リッターのガソリンを使うのかと言います。両者の基準が異なっていては即座に数値を比較することは出来ませんね。アメリカなんかは車の燃費は日本と同じようだと思いますが、それでも1ガロンで何マイル走れるかというので、これまた換算が厄介です。異なる言語を使って、しかも物事の表現が異なる基準でされていてはコミュニケーションはうまく出来ません。
また例えば、ある目的地へ行きたい時に道順を聞いたりするとします。
日本人の表現:
この道をまっすぐ500m行くと交差点がありますから、そこを右へ曲がってください。そして更に300mm行くとまた交差点がありますから、そこを右へ曲がってください。
イタリア人の表現:
この道をまっすぐ500m行くと交差点がありますから、そこを右へ曲がってください。そして更に300mm行くとまた交差点がありますから、そこをまっすぐ行かないで、左へも行かないでください。
(それって、つまり右へ曲がるということですか?と聞くとイタリア人はそうですよと言います。それならなぜ最初から右へ曲がれと言わないのですかと日本人が言います。そうするとイタリア人は言います。だって一緒のことでしょ、、と。)
これはただの例です。世界中同じ言葉を話し、同じ思考過程であれば戦争や争いごともかなり減ったのではないかと思えます。何かの本で読んだことがありますが、「本当の国際化というのは相手に合わせることではなく、まず双方に違いがあることを認識することから始まる」という言葉が思い起こされます。イタリアでの毎日の生活で、このような思考過程の違いによりコミュニケーションで私は日々苦労しています。1分で終る会話が10分かかったりします。
初めは私も苦労し悩んだり腹が立ったりしましたが、最近は少しづつゆとりが持てるようになり、こういうことも楽しいと思えるようになりました。そうです世界は広いのです、そしていろいろな考え方、いろいろな人がいるのです。
第31章 イタリアにはスパゲッティ屋はない
イタリアは、スパゲッティとピザで有名ですね。ワインもフランスなどに並んで素晴らしいと思います。
イタリアにはピザ屋さんはありますが、スパゲッティ屋さん(スパゲッティ専門店)というのは無いというのを皆さんご存知ですか?
スパゲッティは広い意味のパスタの一つです。そしてパスタはフルコースの食事の前菜に相当します。普通のレストラン(イタリア語ではリレストランテ)ではメインの肉とか魚とかを注文するとき、前菜として、スープとかサラダとかパスタなどを選ぶのです。スパゲッティはパスタとしてその前菜の中の一つなのです。
パリのシャンゼリゼ通りにはとっても美味しいスパゲッティ屋さんがあります。そして日本にも美味しいスパゲッティ専門店があります。イタリアのフルコースの前菜の中のパスタであるスパゲッティにはバラェティに富んだいろいろな種類のものがあるため、それだけを取り出して専門店としても充分、成り立つからだと思います。スパゲッティはそれだけでメインとなりうるような魅力と美味しさがあるのですね。私もランチなどではスパゲッティだけで済ますことが殆どですが、そしてイタリア人たちもそういう人が多いのです。でもディナーでスパゲッティだけというのは割りと少ないように思います。私のお気に入りのグレゴリオというレストランではスパゲッティ.ボンゴレとかミートソース(イタリアではスパゲッティ.ボロネーゼとかスパゲッティ.ラグーとか言います)がとっても美味しいのですが、量がちょっと多くて食べきるのに大変です。それで私はいつも「小盛りで」と注文をつけます、値段は変わらないのですけどね。
一時、私はこのレストランでボンゴレ.スパゲッティばかりを食べていました。友人達とこのレストランへ行って食事を注文するときウェートレス達は、私には何を食べるのか聞かないで、勝手に「ボンゴレ.スパゲッティ」とメモを取るのです。それで、ちょっと悔しくなって、あるときから私はスパゲティ.ボロネーゼに変えました。しかしこのボロネーゼが、これまたとっても美味しいのです。ダシが効いているというか旨みがあってとってもいいのです。ですからここのところ私はスパゲッティ.ボロネーゼばかりです。従って、ウエートレスたちはやはり私の注文は聞かずにスパゲッティ.ボロネーゼ、と黙ってメモを取ります。クソッ!
第32章 イタリアでは「時間」の優先度は低い
イタリアへ旅行された方の多くは、イタリアの鉄道は、よく遅れるので乗り継ぎの時間なんかが心配だと言われます。確かにその通りだと思います、イタリアの列車はよく遅れます。列車の発着時間を示すボードには、列車の番号、プラットフォームの番号、発着時間の欄の他に「遅れ」という欄があるのです。つまり初めっから「遅れること」を想定しているかのようです。また駅に備え付けの時計さえ、正しい時間を示していないことが多いのです。この時計は正しいけど、あっちの時計は3時間も遅れた時間を表示しているという具合です。
イタリア人と約束をしても、時間通りに集まったりすることはあまりありません、個人差はありますが。例えばものを作るメーカーは、「品質」、「価格」、「納期」が3大の要素です。価格が安くても品質が悪ければダメ、品質が良くても価格が高すぎてはダメ、また約束の期日どおりに製品が納入されなければダメ。この3つの要素が満足させられた時、初めて評価されるのです。
イタリアをはじめ、スペイン、ブラジルなどラテンの国は時間にルーズな印象を受けます。私もイタリア人たちの時間のルーズさには閉口していました。皆で8時に夕食の約束をしたとします。日本なら全員が8時までに集まるでしょう。しかしイタリアでは8時頃からボツボツ、一人、二人と集まってくるのです。
時間どおりに物事をキチッと処理をするとか、約束の時間をちゃんと守って会議を始めるとか、、、日本人は時間を殆ど最優先に考えているように感じます。しかし、ある時ふっと思いました。イタリアでは「時間」の優先度は一番ではない、、と考えるようにすると、それまでのイタリア人の時間に対するルーズさが納得できるようになりました。そうなのです、イタリアでは時間は「ファースト.プライオリティ」ではないのです。「時間の扱い」の優先度(プライオリティ)は第一番(ファースト)ではなく、かなり下のほうにくるのです。そういう文化なのです。従って約束の時間に遅れても罪悪感を持たない人が多いのです。打ち合わせの時間にいつもいつも遅れてくる人にキツく注意をしても一向に直りません。逆に「少し遅れたくらいで、この人はなんで怒っているのだろう」という顔をします。私の知っているある会社などは、朝の始業時間に15分遅刻しても遅刻とみなさないという規則があったりします。遅れた分、夕方に働けばいいというのです。
スペインなどでは、時間がゆっくり流れていると言われます。スペインでもイタリアでも大きな建築物は数百年かかって完成させるというものも珍しくありません。日本の歴史的建造物でも数百年かけて造ったというものがあるでしょうか。
時間にルーズなのを悪だと決めつけるだけではなく、世界にはいろいろな考え方、文化があると認識し始めた今日この頃です。時間がゆっくり流れるのを感じるのも悪くないと思います。皆さん、納得できませんか?
第33章 カプチーノは朝食に
イタリアのコーヒーでは、カプチーノとエスプレッソが有名ですね。エスプレッソはイタリアでは本当のスタンダードなのです。従ってレストランでエスプレッソを注文するときは、よく「ノーマレ」と言って注文します。つまりこれは英語のノーマルに相当し、「普通のコーヒー」という意味なのです。イタリアでは「普通のコーヒー」と言えばエスプレッソを意味するのです。初めてエスプレッソコーヒーを飲まれた方は、濃すぎて強いと感じられるのではないでしょうか。私もそうでした。でも、お付き合いで飲んでいるうちに、とても美味しいと思うようになり、今では毎日一杯か二杯は必ず飲んでいます。飲み物とか食べ物は習慣からくるものだということを身をもって知りました。
またカプチーノは日本でも人気がありますね。イタリアンレストランでなくてもカプチーノは飲めますよね。さて皆さん、イタリア人はカプチーノは朝だけしか飲まないということを知っていますか?
もちろん朝しか飲んではいけないということではありません。習慣のようです。もしイタリアのバール(喫茶店)とかレストランに午後とか夜に行く機会があったら、周りのイタリア人の飲んでいるコーヒーをチェックしてみてください。イタリア人で午後にカプチーノを飲んでいる人は、まずいないはずです。
その理由について私は何人かのイタリア人に聞いてみました。だれも明確な返答はしてくれません。しかしイタリア人の友人の意見を総合すると次のような結論らしきものに到達します。
カプチーノにはミルクが使われます。イタリアではミルクは朝に飲むものだというイメージがあります。朝に飲むミルクを使ったカプチーノは自然に「朝に飲むもの」という習慣が定着したようです。皆さん、イタリアではカプチーノは朝しか飲まないという他の理由を知っている方、教えてください。ついでながら「ノーマレ」と言われる「エスプレッソ」は朝でも昼でも夜でも飲まれるようです。
第34章 イタリア人の手足を縛ってみよう
街を歩いていると、歩きながら手を振ったり広げたりしながら一人しゃべりしている人をよく見かけます。ちょっと怪しい人かとも思えます。しかし、よ~く見てみると携帯電話のイヤホンを耳に差し込んで、いわゆるハンドフリーで電話の相手と話しているのです。相手が目の前にいないのに、身振り手振りで話しているのです。イタリア人でなくても、我々だって、受話器を持って話しながらぺこぺこ頭を下げて電話の相手に謝ったりしますよね。
個人差は勿論ありますが、多くのイタリア人は話しをするとき身振り手振りのジェスチャーがともないます。テレビニュースのキャスターでされ、大きなジェスチャーで話す人もいます。どうも殆どのイタリア人は身振り手振りなしでは話が出来ないようです。私の友人でも大きなジェスチャーで首をすくめたり、目をオーバーに見開いたりして話す人が多くいます。こういうイタリア人の仲間と話しをしていると、とても楽しく、ついつい自分もつられてオーバーなジェスチャーをしたりしてしまいます。
ある人から聞いたことがあります。イタリア人の手足を縛ってやると、話したいことの半分も話せないとのこと。実際に手足を縛って話しをしたわけではないようですが、それもうなずけます。今度私の友人のルーチョ君あたりの手足を縛ってから話しをしてみようと思っています。
第35章 イタリア人のサングラスはファッションではない
欧米の人たちは、よくサングラスをかけますね。そして、その顔立ちから日本人よりよく似合います。東洋人に比べて彫りの深い顔立ちというのでしょうか。私のイタリアの友人達でも、少し日差しが強いと必ずサングラスをかけます。ファッションとしてサングラスをかけるのもありますが、欧米人のサングラスは必需品であるということに私は気がつきました。
ある夜、友人のガリちゃんの自宅へ行く機会がありました。ガリちゃんの家の中は非常に薄暗いので驚きました。まるでムードのあるナイトクラブのような照明なのです。日本の一般家庭のように部屋の天井に大きな照明がついているわけではなく、フロアーに立てたほんのりとした間接照明がありテーブルには小さな、これも それほど明るくないスタンドがあるだけです。こんなんで、よく見えるんですかぁ~という感じです。
実は私の会社の事務所でも、イタリア人社員達は部屋の電気をつけずに薄暗いところでパソコンの画面に向かっているのです。これも、こんな暗いところで仕事ができるんですかぁ~という感じです。
これらのことから、私はある結論に達しました。イタリア人達の目の色は、ブルーだったり、グレーだったり、茶色だったりします。日本人の目の色は殆どが濃い茶色です。そうなんです、イタリア人の瞳の色は日本人より薄いのです。そして網膜にたくさんの光が届くので、日差しをより眩しく感じるのです。逆に夜は、薄暗くてもたくさんの光が網膜に届いて、暗く感じないのです。日本人の瞳は欧米人のそれより濃いので、ある意味、それ自体で既にサングラスの役目をしているのです。イタリア人のサングラスは、ファッションだけではないのです。
第36章 イタリアには、「出来ちゃった結婚」はない。
日本では、つき合っている男と女のカップルが結婚前に赤ちゃんが出来てしまうと、慌てて結婚式をしたり、入籍したりしますね。やっぱり生まれてくる子供には、法的にもちゃんとしたお父さんと、お母さんがいなくてはいけないという考えからでしょうね。
ところが、イタリアでは、つき合っていたり同棲しているカップルに子供が出来ても、慌てたりする人はあまりいません。そして、子供が出来ても、急いで結婚するというようなことはありません。
私の働く会社にマエラという女の子がいて、男の子と同棲していました。あるときマエラに赤ちゃんができたと聞きました。私はてっきり、すぐに結婚するかと思いました。ところが、結婚どころか慌てるどころか、周りの友人達に、子供が出来たと嬉しそうに報告しているのです、とても余裕を持って。そして周りのイタリア人の友人達も、おめでとうと祝福しているのです。子供が出来たということ自体は、おめでたいことですが、結婚をしていない同棲の状態で子供ができたのだから、早く入籍とか結婚を、、と思ったのは日本人の私だけだったようです。無事、女の子を出産しました。その子の名前は、Asia(アジア)。 ま、名前の意味とか由来はこの際、横へどけといてっと。
そして、その子供が2歳になろうというのに結婚はしないで、幸せそうに同棲を続けているのです。イタリアの戸籍とか入籍について私は詳しくありませんが、イタリアでは結婚しても夫婦別姓です。
さて、その子供が2歳になったころ、マエラが結婚するという話しを聞きました。なんと、2人目の赤ちゃんが出来たから、それを期にそろそろ結婚しようかということになったらしい。そこでまた、2人目の赤ちゃんおめでとう、結婚おめでとうと周りから祝福されるのです。
私は、ほかのカップルでも、同棲していて子供ができても結婚しない人たちを知っています。入籍の手続きをする「形式的な紙」などなくても、お互い愛し合って信頼し合っているからいいということなのでしょうか。もちろん、多くのカップルは普通に結婚してから子供が出来るというパターンです、、、と思うけど。
第37章 友人宅でのランチ
ある日の土曜日に、私の仕事仲間のルーチョ君の家へランチに招待されて行ってきました。ルーチョ君の古い友人のルイジ、クリスティーナ夫妻も招待されていました。
ルーチョ君がルイジさんに「日本人とランチをするけど、よかったら来ないか?」と誘ったら、ルイジさんは日本人に会ったことがないので是非と言って来たそうな。私の住んでいる地域には日本人は殆どいません。
私とルーチョ君は、もう15年の付き合いになります。ルーチョ君がいい奴なので、その友達もいい人達でした。ルイジさんは会計士の仕事をしていて、英語が話せます。クリスティーナは、ほんの少しだけ英語を話しました。クリスティーナには、結婚して何年になるのとか、どこに住んでるのとか、私のいい加減なイタリア語でも会話ができました。ルイジさんとは英語とイタリア語のチャンポンで、最近の世界情勢とか日本の株の暴落とかケッコウ高度な話しをしました。
私がルーチョ君の家へ着いたのは12時少し前。ランチは12時から始まると思っていたけど、プリッツというカクテル、ワインなど食前酒を飲んでいて食事がスタートしたのは1時を過ぎていました。日本には食前酒を飲むという習慣は定着していませんが、軽いカクテルなどを飲んでいるとなんだか食欲が増すように感じます。
ランチのメニューは、前菜のサラミ、ハム、焼きトマト、パン、グリッシーニ、スパゲッティ、メインのステーキは焼きスライスナスの添え物付き、デザートの菓子、カフェ、とシンプルなものでした。でもみんな美味く量も多くなくて全部きれいに食べられました。私は手土産に日本酒を持参し、ルイジ夫妻はデザート用の菓子を持参していました。イタリアでは食事とかパーティに招待されたら、食べ物なんかの手土産を持参するのが習慣です。
ルーチョ君ちは、奥さんのバルバラと男の子2人の4人家族です。私はルーチョ君の奥さんのバルバラとも長い付き合いで、実際はルーチョ君がバルバラに会う前に、私のほうが先にバルバラに会っているのです。それがどうしたって? どうもしません。ルーチョ夫妻の、長男の8才のボリス君はおとなしくてちょっとテレ屋さん。しかし次男の5才のロレンツオ君は、とってもおしゃべりで人懐っこくじゃれついてきます。二人とも私に絵を描いてプレゼントしてくれました。ボリス君とは何年か前にもサッカーをして遊んだこともありました。私がたまに日本へ帰るときなどは、この子供二人にお土産を買っていきます。先日は 「口の中でパチパチはじける、パチパチ綿菓子」を買っていきました。親子ともども、とっても好評でした。
子供たちとも いつまでも遊んでいたいと思ったほどでした。とても楽しいランチでした。
第38章 クリスマスを待つ街
パドバ市の中心街へ買い物に出かけました。
12月に入ると、街はクリスマスムードで電飾でいっぱいのお菓子屋さん、クリスマス飾りを売るお店などがきれいで沢山の人たちで賑わいます。寒いので みんな厚いコートを着込んでいます。いつも日曜日は閉まっているスーパーなどもクリスマスが近づくと「日曜日も開店」などという大きな横断幕を自慢げに張り出します。街頭ミュージシャンも いつもの「アモーレ.ミオ」から「ジングルベル」へ曲が変わっていました。
ちょっと面白いことがありました。
私が車を停めた街の真ん中の有料駐車場での出来事です。駐車場に料金の自動支払い機があります。私の前で、イタリア人の50才代の真面目そうで身奇麗なオジサンが機械へお金を入れていました。 そこへ50才代半ばのジプシーのオバサンが来て、そのイタリア人オジサンに、
「お金をめぐんでチョウダイ」 と言いました。
ジプシーのオバサンは黒い長い髪で赤銅色の顔をしていました。濃い赤のセーターにベージュのジャンパーをはおり、赤っぽい長いスカートをはいています。長いスカートはジプシーの典型的なスタイルです。イタリア人オジサンは、ジプシーオバサンをチラッと見て、料金支払機にコインを入れながら、
「働けよ!」と言いました。
ジプシーオバサンは「働けってぇ?」と口の中でブツブツ言っています。
そしたら、イタリア人オジサンは、「そうだよ、俺も働いているんだ!」
と少しだけ強い口調で言いました。
すぐ後ろで、私はその二人の会話を聞いていて、なんだか笑えてしまいました。私のすぐ横にいたイタリア人姉さんも私と顔を合わせて、ニンマリと笑いあってしまいました。
ジプシーというのは、もともとは職人的な仕事で鍋なんかを手作りして売り歩いたり、旅をしながら芸をしてお金を稼いだりしている人たちのことです。収入が不足すると、お乞食さんとか泥棒なんかをする人たちもいるので良いイメージは持たれていません。イタリアではジプシーや、お乞食さんがケッコウ多くて、街で通りかかる人や道路の交差点で赤信号で停まった車に寄ってきて、お金をせびります。駐車場なんかで車を停めようとしていると、寄ってきて頼みもしないのに「バックオーライ」と勝手に言って、助けてやったからお金をくれなどと言います。大抵の人は首を振って拒否するか或いは無視しますが、今日のように お乞食さんに向かって真面目な顔をして「働けよ! 俺も働いているんだから」なんて言っている人は初めて見ました。このイタリア人オジサンは誠実な真面目な人なのでしょう。
第39章 パドバ駅
土曜日に、買い物のついでに ふらりと鉄道のパドバ駅へ行きました。最近、列車に乗ってないので駅へ行くのは久しぶりでした。駅へ行くと、なんだか遠くへ行けそうで、日本までも帰れそうな そんな気がします。
古めかしかった駅は、列車の発着表示も電光掲示になっていたし構内のブティックとか売店もきれいになっていました。切符を売る窓口の順番待ちの列の中に とても綺麗なおねえさんを見つけました。思わず写真を撮ってしまいました。カメラを向ける私をチラッと見ながらもイヤがる様子はなく そのおねえさんは、お澄ましして列に並んでいます。
ご存知の方も多いと思いますが、イタリアの鉄道駅は切符の改札口がありません。駅へ行くと、どこもチェックがなく そのまま列車の停まるプラットフォームまで行けます。従ってズルをしようと思えば、切符を買わずに只で電車に乗れます。そうです、イタリアは善意の国です。誰もズルをしないという前提に社会が成り立っている国なのです。でも泥棒がケッコウいるんですぅ。列車に乗ってから、特急とか急行列車などだと車掌が改札に来ます。その時、切符を持っていなくて無賃乗車がバレると、運賃の何倍かの罰金を取られます。
Pakistan カラチのトロピカルな花たち ~ミツバチばあやの冒険~(by 唐辛子婆さん)
カラチで冬場に咲く花は日本の春・夏に咲く園芸種とほとんど同じです。今回は熱帯特有の花だけご紹介しましょう。
表紙の写真はフラン・ボヤン(インドネシア語で火炎樹)だと思うのに階下のリリーは
「違う。火炎樹はもっと高い木だ。」というのです。
低かろうが火炎樹だと思うんですけどねえ・・・。
ともかく、ほとんど名前がわからないのでご存知の方は教えてください。
★唐辛子婆の写真の下の「メールを送る」をご利用ください。
ニュージーランド旅行記(1)『北島の旅』:6月20日:はじめに(by 旅人のくまさんさん)
<はじめに>
2月から始めた今年の海外旅行は、今回が5回目となりました。行き先はニュージーランドです。中学校当たりの教科書に記載してあったような記憶を紐解きました。「日本と反対側の南半球に位置し、大きさも余り違わない島国、日本の季節と丁度反対、日本が真夏の時には、真冬である」と言った趣旨の記述だったようです。「水を流しのような穴から捨てる時、北半球と南半球では、渦巻きが反対になる」とも、理科の教科書に書いてあったように記憶しています。
その時には、不思議な思いだけはしましたが、現実のこととは、随分と乖離があったように憶えています。海外旅行自体が、現実離れしていた時代でもあったからです。昔を思い出して、その夢が実現する旅行でもありました。
<旅の計画>
例によって、色んなパンフレットを集めてきました。いつものJTB、日通旅行、阪急旅行、名鉄旅行、JR東海ツアーズなどのニュージーランド旅行の各社パンフレットです。
6月6日のことです、概ね見当を付けてルックJT*旅行プランの代金を用意して、代理店へ向かう途中でした。この月の12日から平針の地下鉄駅前のHI*の営業所がオープンすることになりました。今までは、HI*の今池店をよく利用していましたが、ここが閉鎖になって不便を感じていたところでした。
その新規オープンの店先に、既に旅行パンフレットが用意されていて、店も明かりが点いていました。オーストラリア旅行のパンフレットを見ていた時に、お店の人がパンフレットを補充にやって来ました。それで「ニュージーランド旅行のパンフレットはありませんか?」と声を掛けたところ、直ぐに店の中からパンフレットを持ってきてくれました。
開店準備で忙しそうでしたが、念のために「12日が開店日ですね?」と確認したところ、「事務所は既にオープンしています」との返事が返ってきました。「実は、今からJT*さんの事務所に、ニュージーランド旅行の申し込みをする途中で立ち寄ったところです。HI*さんの旅行プランも教えてください」と、貰ったパンフレットを片手に、店のカウンターに座りました。この後は、店長さんが対応してくれました。その時に旅行プランの条件を2つだけ示しました。
①6月20日前後の出発で、6日から8日間の日程。
②基本的に、北島だけの自由旅行プラン
と、言った条件です。その条件に適う、他社のパンフレットを参考に示しました。そのプランに対応するHI*さんのプランでは、「オークランド5日間」の10万円以下の格安旅行等がありました。しかし、日程的にかなり窮屈でした。機中泊2日で、オークランドも2泊でした。いくら安くても、往復の時間を考えると、これは外しました。「他社のプランでも取り扱うことが出来ます」との返事でしたから、今日、申し込む予定のルックJT*やそれより更に格安のプランをその場で確認してもらいました。その結果は「催行日まで残りが少なくなりましたので、既に締め切られています」と「申し込みが少なく、催行中止が決定しています」との確認結果でした。
結局、その場で、別の自由旅行プランを組み立ててもらい、申し込みを済ませました。出発日が20日の月曜日、25日の土曜日帰着の5泊6日のオークランド滞在の完全自由旅行でした。お金も既に用意してありましたので、支払おうとしましたが、開店したばかりでレジがうまく動かないとのことで、もう一度夕方にやって来て支払いを済ませることにしました。
<ニュージーランドの白ワイン>
今回旅行のテーマは、白ワインと魚料理としました。実は、以前に飲んだニュージーランドの白ワインの印象が強く残っていたからです。三越デパートのソムリエ顧問をされている島幸子さんの東新町にあるお店でした。キリッとした辛口のワインで、魚介類によく合いました。私の好きな魚介類によく合う、シャブリとは、また違った味わいでした。
それで、旅行が決定した後は、何件かの酒屋さんでニュージーランドのワインを探しました。オーストラリアのワインはかなりの品数でしたが、ニュージーランドからの輸入品は、まだ限定的でした。旅行前に試飲出来たのは、シラークス・ソービニョンブランの2003年物、マールボロ産と、モンタナ・バラエタル・ソービニョンブランの2002年物、同じマールボロ産でした。入手できたのは近くに新しく開店したお酒の量販店、マインマートのお店でした。飛び切りうまいワインと言う訳ではありません。しかし、値段も安く、よく冷やして飲むと、爽やかな香りと、キリッとした期待通りの味でした。
実は、セブンイレブンさんのお店にも「田崎真也セレクション」として、ソービニョンブランが置いてあります。こちらは2003年のフランスはボルドー産です。「ハーブの香りを持ったさわやかでバランスのよい味わい」が田崎さんの評価のようです。既に何本か飲みましたが、さすがに田崎さんのセレクションと感心させられました。
旅のはじめに
逆立てる季節の国に夢馳せし若き日想い旅立ちし今
地の魚褄に飲みたし白ワイン気侭旅行く新西蘭
丸木船黒潮運ぶマオリ人辿りて棲みぬ千歳を島に
<2005年6月20日(月)>
出発の直前まで、本作りに精を出していました。年が明けてから、毎月の旅行記作りに追われて、昨年から予定していた本つくりが、一部後回しになっていたからです。昨年の秋から冬の期間で纏めたグルメシリーズの6冊目は完成しましたが、今年最初のシリーズ7冊目は、時間切れで手付かずのままです。
他にも積み残しの本が何冊かあり、本造りの当初目的の技術資料も一時中断したままです。本作りが一段落したら、ホームページを立ち上げる計画でしたが、中々その区切りが付かない状態です。この本が出来上がったら、今年の夏は、ホームページ作りを優先させることになりそうです。でも、グルメシリーズの7冊目だけは早く作って、皆さんにプレゼントしたい思いが強くあります。一寸したハムレットの心境です。
<セントレア空港での待合せ>
旅行の申し込みをしてから、アッと言う間にニュージーランドへの出発の日がやって来ました。毎週立ち寄っている今池のお寿司屋さん、鮪馳(イチ)のお店での話題でした。このお店の娘さんのカズヨちゃんから、同じ頃にラスベガス旅行をされる話をお聞きしました。
カズヨちゃんのラスベガス旅行は、お友達のチグサちゃんとご一緒と言うことでした。この鮪馳のお店の近くに、カズヨちゃん経営のカラオケスナックの「そんなバナナ・今池店」があり、そのお店でチグサちゃんともご一緒する機会があり、同じ日の午後なので、「昼食をご一緒しましょう」と言うことになりました。待ち合わせの時間はメールを使って確認しておきました。これだと通信記録が残るから便利です。
待合せ時間はセントレアの出発ロビーで13時ということにしました。この時間だと、カズヨちゃん達が、2時間前のチェックインを済ませてからの食事の時間に都合がよさそうなためでした。一番の混雑の時間を避ける狙いもありました。
私は約束の時間に遅れないようにするためと、荷物をコインロッカーに預けて、身軽にしておきたかったので、少しだけ早くセントレアに着けるよう家を出ました。いつものリュック1つだけの身軽な格好です。ただし、ニュージーランドは日本と反対の季節なので、出掛けるときには少し暑かったのですが、多少の防寒対策の用意をしていました。
カズヨちゃんからは、「予定通りチグサちゃんと合流して、セントレアに向かっています」とのメールが入ってきました。私は地下鉄で金山まで行き、そこから名鉄電車を利用しましたが、同じように「金山経由で空港に向かっています」との連絡でした。
<セントレアの食堂事情>
カズヨちゃん達がセントレアに到着する時間が分かりましたので、コインロッカーに荷物を預けた後、空港ターミナル内を回って食堂の込み具合などをチェックしておきました。最初は「まるは食堂」を予定していましたが、少なく見積もっても50人以上が順番待ちをしていました。この行列は、暫くの間は短くなりそうではありませんでした。
それ以外のお店も当たってみましたが、まだ昼食のラッシュが終わっていない気配でした。旅行者だけでなく、セントレア見学の方達の昼食のお時間のようでした。食事時間切れの最悪を考えて、到着ロビーの方の店を覗いてみましたが、予想通りこちらは空き席がありました。ただし、メニューは、カレーとかサンドイッチの軽食に限られてしまいます。
電車の到達時刻に合わせて、その出口まで移動しました。到着したカズヨちゃんが携帯を掛けようとしていたところで、丁度合流できました。食堂はまだ混んでいましたから、先にお二人の用事を済ませることにしました。アメリカでも使える携帯電話のレンタルと、チェックインです。
チェックインを済ませてカズヨちゃん達も身軽になったところで、食堂のある一角に移動しました。最初に、まるは食堂を覗きましたが、まだまだ列は続いていました。こちらは、諦めることにしました。結果から見ても、もし並んでみても、時間切れで食事をする時間はありませんでした。
代わりに選んだのが鰻のお店でした。こちらは7、8人か並んでいませんでしたし、列もほぼ順調に進んでいるようでした。結局、このお店での待ち時間は、20分程だったようです。4人掛けのテーブルに座ることが出来ました。「旅行前に体力を付けておきましょう(?)」と、3人とも同じ「ひつまぶし」にしました。
軽くグラスの生ビールを飲んだのが、今回の「自家版グルメ旅行」の始まりでした。
<見送り、常滑駅前散策>
食事はゆっくり出来ましたが、気が付いた時には、カズヨちゃん達のフライトの時間まで40分を切っていました。これから出国審査です。幸い長い列は出来ていませんでした。私の場合は、25日の土曜日が帰国予定でしたが、カズヨチャン達は一日早く24日の金曜日の帰国予定と言うことでした。お互いに旅の満喫と無事とを祈って別れました。
18時30分のフライトまでは少し時間がありましたから、見送りの後に、もう一度食堂街方面を覗いてみました。銭湯は相変わらず待ち時間がありましたので、入るのは諦めました。それで、常滑駅まで戻って駅前付近を散策することにしました。電車は直ぐにやって来ました。10分か15分おきのダイヤです。一駅だけですから、直ぐに下車です。
駅前は多少変わっていましたが、大きな変貌を遂げたと言うほどではありませんでした。空港前島も宅地分譲や、商店誘致の真最中です。発展を遂げるには、これからが正念場でしょう。駅前デパートや高架下の商店街を散策し、観光案内でパンフレットを入手した後、早々に空港へ引き返しました。
<搭乗手続き>
HISのカウンターで貰った航空チケットとパスポートがあればチェックインできますから、コインロッカーの荷物はそのままに、1時間半ほど前には、チェックインを済ませました。エアーニュージーランドのカウンターは空いていました。待ち時間は無く、直ぐに搭乗手続きが取れました。夜間の長いフライトを考えて、通路側、アイルシートを頼みました。
出国審査を終えたのはフライト1時間程前でした。忘れずにコインロッカーからリュックを取り出しておきました。出国審査の時も、ほとんど列は出来ていませんでした。念のために上着も脱いで、金属探知機を潜りましたから、1回でOKでした。今度は買い物があります。ニュージーランド滞在中に飲む予定のオールドパーです。私の旅の戦友です。
30分ほどは登場口近くのロビーで過ごしました。ここにも珈琲や生ビールを売っていましたから、手持ち無沙汰に生ビールを注文しました。丸テーブルが、その売店の脇にありました。しかし、このテーブルも待合室のシートも閑散として、ほとんど人を見かけませんでした。つい、念のために、もう一度登場口の番号を確かめた程でした。前方で、エアーニュージーランド機が駐機してフライトの準備に入っていましたから、この搭乗口に間違いはありませんでした。
<ニュージーランドへ>
予定通りに18時30分の出発でした。待合室が閑散としていた通り、搭乗率は10%程度でした。両脇の席が2席づつ、真ん中の席が3席ですから横に7人掛けの機内でした。私が座った列はほかに乗客が居ませんでしたし、横一列に全く乗客がいなかった席もありましたから、目分量で10%程度の搭乗率と推測しました。結果として窓側か、通路側かの座席の指定は、全く意味がありませんでした。
セントレアを出発してからは、ほとんどが海の上の飛行です。しかも夜間の飛行なので、外の景色を楽しむこともできません。夕方出発して朝の到着ですから、この間で、出来るだけ睡眠をとるのが一番いい方法でした。日本との時差は3時間です。その分、朝が早い計算になります。
とはいっても、約10時間のフライトですから、直ぐに横になる訳にはいけません。夕食の時には最初白ワイン、その後で赤ワインを注文しました。白はシャルドネとソービニョンブランの2種類が用意されていました。ソービニョンブランの方を、大瓶からガラスの容器に注いでもらいました。赤の方はメルローだったようですが、ラベルを読んではいませんから不確かです。その後は、3人分の座席を使って寝台飛行でした。
<ニュージーランドの予備知識>
ニュージーランドは「人の数より羊の数が多い国」とよく例えられます。しかし、確かに羊は多いものの、人の数が少ないと表現した方が当たっているようです。日本の面積の3/4位の広さに、約1/20の人口である400万人程が住んでいます。6千万頭とも言われる羊の数が、ことさら多く感じるのも当然かも知れません。人口密度に換算してみますと、日本の1/20にも当たりません。世界でも人口密度の低い国のようです。
現在住んでいる人は、英国系住民が8割以上を占め、先住民のマオリ族の割合は14%程度とされます。このところ急増しているのが、中国系住民と韓国系住民です。今回の旅行で中国人村、韓国人村と言ってよい区域があり、そのことを実感しました。
公用語は英語とマオリ語です。現在でも英連邦の一員ですから、日常会話では、英語が使われています。先住民であるマオリ族の人達も、平等の権利が与えられていますから、マオリ語が公用語であるのは当然のことでしょう。今でも地名などはほとんどがマオリ語の英文表示が使われています。
マオリ語で「こんにちは」は、「キア オラ (Kia ora)」です。残念ながら、使う機会はありませんでした。
ニュージーランドへ向かう機内で
赤道を越て海原南下しぬ夏の島から冬の島へと
諍いの弥増す日本憂いつつ安寧願う新西蘭
白ワイングラス眺めて一杯を嗜み飲みて空の旅行く
マオリ族に寄せて
争を好まぬマオリの民なれど勇気育む血筋絶やさず
海山の幸平等に分かち合うマオリ族なる海の民あり
海の民陸に棲み居て羊追う太平洋に緑満つ島
*******************************************
元資料の手造り旅行記『ニュージーランド旅行記』、副題『北島の旅』の目次です。
<目 次>
<はじめに>
旅の計画 (2)
ニュージーランドの白ワイン (3)
<2005年6月20日(月)>
セントレア空港での待合せ (5)
セントレアの食堂事情 (6)
見送り、常滑駅前散策 (7)
搭乗手続き (7)
ニュージーランドへ (8)
ニュージーランドの予備知識 (8)
<2005年6月21日(火)>
ニュージーランド到着、ホテルへ (11)
ニュージーランドの車と住宅事情 (12)
オプショナルツアーの申込み (13)
アーリータイムチェックイン、ホテルの部屋 (14)
昼食の店探し (15)
キーウィワインで夜景を (16)
夜のホテル界隈散策 (17)
夕食の店 (18)
<2005年6月22日(水)>
アジアンスタイルのフードギャラリーで朝食 (20)
タクシーでオークランド博物館へ (21)
オークランド博物館見学 (21)
オークランド市立美術館 (23)
美術館の中のレストラン (24)
ヨットクルージング (25)
お寿司のニッコーへ顔出し (25)
<2005年6月23日(木)>
この日の朝食 (28)
海洋博物館見学、波止場散策 (29)
市内の教会 (29)
ヴィクトリアパークとマーケット (30)
日本料理店での昼食 (30)
アルバートパーク散策 (31)
スカイタワーとカジノ (31)
<2005年6月24日(金)>
早朝出発、ワイトモへ (33)
ニュージーランドの社会事情等 (33)
土蛍見学 (34)
ロトルアへ、レストランはゴンドラに乗って (34)
動植物園見学 (35)
牧羊犬、羊の毛刈ショー (35)
間欠泉、伝統技術訓練所見学 (36)
最後の夜も、お寿司のお店で (37)
<2005年6月25日(土)>
早朝の帰国 (39)
オークランド出発 (39)
名古屋到着 (40)
謝辞 (40)
*元資料の写真資料の目次です。
<写真目次>
セントレア空港 (1)
オークランド到着 (5)
ホテル到着、部屋からの眺め (7)
夜のホテル界隈 (11)
22日朝、ホテルとその界隈 (13)
オークランド博物館 (16)
オークランド市立美術館とその周辺 (39)
ヨットクルージング (51)
朝食の場所とその付近 (61)
アルバートパーク、再び (63)
アオテアスクエア界隈 (67)
海洋博物館 (75)
ヨットハーバー風景 (85)
オークランド市内の教会 (91)
テレビ局と郵便局 (95)
ヴィクトリアパーク (99)
ヴィクトリアパーク・マーケット (103)
日本料理店での昼食 (111)
街角で見かけた花 (113)
夕食のお寿司屋さん (115)
スカイタワーの上から (119)
ワイトモ土蛍見学へ (123)
ロトルアへ (130)
ゴンドラに乗って昼食のレストラン (130)
レインボウ・スプリングス見学 (134)
間欠泉見学 (140)
羊の毛刈ショー (145)
帰国 (149)
<付録1> 土蛍について (151)
<付録2> ニュージーランドの神話 (153)
<付録3> ニュージーランドのワイン (156)
<付録4> 搭乗券、パンフレット類 (159)
教えてくださいに関する質問
ベストアルバムを教えてください!
とベストアルバムを教えてください。小比類巻かほるのベストアルバム教えてください。今井美樹のベストアルバム教えてください。少年隊のベストアルバム教えてください。松山千春のベストアルバム教えてください。松田聖子のベストアルバ
教えてください
サンドロ・ワグナーモンタージュ教えてください
東野圭吾氏の本のタイトルを教えてください。
東野圭吾氏のある小説のタイトルを教えてください。短編で内容はある男が失恋した女性を家に連れていって殺して食べてしまう話です。数ヶ月前に立ち読みをして本のタイトルがわかりません。教えてください。出版社も教え
「取り出し口」をなんといいますか?
くる場所、日本語では「取り出し口」ということもあります。취득구と表現しても韓国人の方なら通じますか?教えてください。通じるかどうか教えてください。また、別にいい表現があれば教えてください
流出画像の検索方法を教えてください。
ネットの書き込み情報を閲覧する方法を教えてください。報道などでインターネットで画像流出などいわれますが、どのような方法で見ることができるのでしょうか。サイト名および検索方法を教えてください。書き込み方法も合わせて教えてください。
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